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新潟へ

<初日>1989年2月9日(木):曇り、雨

19時45分ごろ家を出る予定だったが、何だかんだで20時を過ぎてしまった。母と秀水が本八幡の駅まで送ってくれた。
20時10分には駅に着き総武線に乗る。コートや帽子はまだ必要ないので黒いバックに入れ一番前の車両に乗る。

ちょっと遅れるかなと思ったが20時55分に新宿に到着。集合場所の7番線の池袋側へ行く。まだ誰も来ていない。この場所は中央線の長距離のホームということで人があまりいないだろうということで集合場所に決まったのだが、いざ来てみるとなんと中央線快速と千葉行きのホームライナーのホームになっていて人だらけである。21時ちょっと過ぎには日名子が2〜3分遅れて来た。でかいリュックだ。しかし軽い。その後SHOPも来てくれた。21時10分まで井上を待つことにして少々ホームで待つ。日名子が電話をしにいったが電話番号を間違えて結局連絡がつかなかった。改札を出ずに駅の中の喫茶店かなんかで時間を潰そうとしたがやめて外へ出ることにした。

雨が降っている。日名子は傘もささずにさっさと先を歩く。私はSHOPの傘に入れてもらうことにして歌舞伎町方面へ進む。地元の日名子に場所を選定してもらおうと思ったが、マクドナルドとかロッテリアみたいな健康的な場所を選ぶので、また駅方面に引き返し、喫茶店マイアミに3人で入る。SHOPはビール、私はココア、日名子はジュース。 それにしてもSHOPはよく来てくれたものだ。私だったら人の旅行の出発にはいちいち行っていられないだろう。まぁあれだけ電話で攻撃すれば来るのも当然であろう。22時30分には店を出て駅へ向う。相変わらず雨である。ムーンライト号出発の4番線ホームに行って弁当を買い、タバコを買う。我々は1号車なので一番前の車輛と駅員にも言われたし、そこで待っていた。電車は22時55分、出発の5分前に到着した。なかなか立派な座席である。と、乗りこんではみたもののこれが禁煙車なのだ。しかしこれは3号車だった。1号車は1番後ろの車輛だったのである。この車輛はタバコが吸えるらしい。よしよし。

23時とうとう列車は動き出した。ホームではSHOPが見送ってくれた。23時24分次の駅の赤羽に到着。と、なんとホームにSHOPがいるではないか。SHOPが埼京線で先回りしていたのである。私はホームまで行きSHOPに本当の別れを告げる。

赤羽を出てからさっき買った弁当を食べる。私は生姜焼肉、日名子はサンドイッチである。大宮を出てからは車内放送で電気(照明)半減の知らせがあったが、なかなか暗くならない。私曰く、実は光の振動数が半減したのであり、明るさは変化しないのだ・・・と。0時過ぎ、日名子は寝てしまう

 

 
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