平成元年は昭和天皇崩御で始まった年でしたが、この年の2月から3月にかけての5週間をかけて当時のソ連を旅行してきました。私は大学3年の冬休みでした。どうせ寒い所に行くなら一番寒い時期に行くべしということで、もう一人の変わり者である日名子氏と2人で行くことになりました。中国と違って当時のソ連は我々が泊まりたいと思うホテルには泊まれず、どうしても宿泊費が多額になってしまうという問題があったのですが日名子氏の登場は好都合でありこの問題を解決したのでした。というのはシングルとツインの部屋の料金がほとんど変わらないため2人で行けば宿泊費が約半額になったのです。それでも絶対的なホテルの代金は高額でしたが(もちろん日本よりは安いが)支払った代金以上のクオリティ感覚のあるホテルばかりでした。ようするにソ連では貧乏旅行はできないが、ある程度いいホテルに割安の価格で宿泊できるという感じなのです。
そもそもソ連に行くという構想は前年の夏に中国から帰ってきてからすぐに沸き起こりました。とにかく広い国なのでどこに行くかが最大の問題でした。最初から決まっていたところはモスクワとサマルカンドだけでした。それからシベリア鉄道にも乗りたいと思っていました。いろんな本を買ってきてソ連国内の都市を調べ始め、同時にNHKのラジオ講座でロシア語の勉強も始めました。またドストエフスキーとかトルストイの本も読みました。クラシック音楽はもともと好きだったのですがチャイコフスキーの音楽やロシア民謡も聞きました。
ソ連を旅行するには、今はどういう方法なのかはわかりませんが当時は、自分で行く都市とそこに滞在する日数を決めてさらにはどこのホテルに泊まるか、移動する飛行機や汽車はどうするのかを全部決めて旅行代理店経由で書類を提出し、内容をチェックされた後に承認が得られればそれらにかかる費用のすべてをあらかじめ支払いバウチャーを受け取って、渡航先ではこのバウチャーというものを使うことによって旅行をしていくという方式でした。
従って一度行程を決めたら実際に現地に行ってみて、ここが気に入ったからとかここはもう飽きたとかいう理由で行程を変更することはできなかったのです。だから訪れる都市やコースを決めるのは大変な作業でした。
成田から直接モスクワへ飛んで帰りにシベリア鉄道に乗るか、新潟から入って先にシベリア鉄道に乗ってモスクワ方面に行くか迷いました。それにどの都市に行くかを決めなくてはなりませんでした。それらの都市を効率的に移動できるかというのも考えないといけませんでした。
都市はだんだんと絞られてきました。スカンジナビア半島の最北の都市であるムルマンスクではオーロラが見れる。レニングラードにはいろんな人にまつわる建物や史跡みたいなものがある。ブハラというところにも興味が出てきたし、バイカル湖やカスピ海も見なきゃ。
そして各都市では、例えばモスクワには何があるのか?それらを見てまわるには何日必要なのか?一番便利なホテルはどこか?値段はどうなのか?などといったことを決めていくのです。
この間の期間は相棒の日名子氏はまったく関与しかなったので私の思い通りのコースを組むことができました。シベリア鉄道に乗るのは時期的なことや全体の行程上の理由から「行き」に乗ることになりました。従って新潟空港からハバロフスクに入るということが決まりました。帰りは中央アジアから直接日本に飛んでいる飛行機が無かった?ため、ハバロフスク経由でまた新潟へ帰ってくることにしました。全体の期間が5週間と長かったので、訪れる各都市は1都市あたり3〜4泊と比較的ゆっくり滞在することにしました。新潟までは新幹線ではなく夜行列車のムーンライト号で行くことにしました。
こうして旅行の全行程が決まり、旅行代理店にも費用をすべて支払ってバウチャーを受け取り、あとは2月9日が来るのを待つだけでした。
|