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トルファン史跡探索


<10日目>1988年7月30日

7時起床。外は真っ暗。山口氏は7:30に出かけてしまった。朝は寒いと聞いていたが室内は寒くない。部屋で少し休息した後、9:30に部屋を出てロビーへ行く。日本語しゃべっている人がいるので話をした。この人仕事で来ているらしくもうずいぶんトルファンにいるらしい。トルファンは中国一暑いところなので仕事も14時ころから休息して17時ごろから再び出かけるとのこと。なんせ10時まで明るいのだから。
10分前になったのでCITSへ行くともうアメリカ人たちはいた。みんなで行く所を地図で見て確かめた。そして車に乗り込む。なんとトヨタのクラウンである。北京のタクシーと同じだ。エアコンビンビンで少し寒いくらいだ。町を出て時速100kmでぶっ飛ばす。ドライバーはウイグル人の女の人でなかなか運転がうまい。しばらく走って赤いゴツゴツした山が見えてきた。火焔山である。「この山は日本で有名です。」というと「なぜ?」というから「孫悟空!」というと西遊記のことが分かったらしい。そこから右へおれて少し行って左へ入ると最初の目的地「アスターナ古墳群」に到着。10:30。着いてみたが何もない。はて? 4人で1つの穴に入ってみる。変な動物の死骸があって行き止まり。出てくると案内人の人がこっちへ来いと案内してくれた。最初は壁画である。お坊さんかなんかの絵だった。小さな女の子がライトで照らしてくれる。香港人だか中国人だか分からないがそれらしき人達も一緒に見学する。
次に入ったところがなんとミイラである。2体並べられている。ただ穴の中に置いてあるだけだ。あんな保存法で大丈夫なんだろうか?次に入ったところはまた壁画である。30分くらいして車に乗り込む。3人が名前を教えてくれた。男の人がジェリー、太った女の人がナンシー、もう一人の女の人が....忘れてしまった。私も自分の名前を教えてあげる。
車は更に進んで次は高昌故城である。入口で券を買って車ごと中に入る。奇妙な岩がゴツゴツしていておもしろいところだ。車は城の中央あたりで停車し、私たちは降りる。子供達が集まって来て硬貨を売りつけにくるが米国人の人達が見事に撃退。さすがに中国で生活をしている人達である。階段を登り上まで行ってみんなで写真をとる。私も男の人にとってもらった。そして中央のところへ行って外へ出る。ラクダがいる。そこからこの城の入口の所までみんなで歩いていくことにして運転手にも伝えた。ひたすら歩く。。。。
穴のある岩や奇妙な岩(というより砂の固まり)が続く。遠く向こうには山が見えるがかすんでいてよく見えない。途中蟻地獄をみつけて、ナンシーさんじゃない方の女の人に教えるが彼女は知らないらしい。蟻地獄を英語で言うことができず困った。男の人はどんどん先に行ってしまう。また途中で羊の群れと遭遇する。そのうち後ろから車が到着。車にのる。そしてさっきの火焔山まで戻ってきて更に火焔山の中へ突入していく。砂が赤く切り立った崖が大きくてすばらしい。まるで絵を見ているようだ。途中対向車のバスとぶつかりそうになるが、走る。と三蔵法師一行の白い像が見えたところで車は止まる。ベゼクリク千仏洞だ。谷の下には濁った川が流れている。階段を下りて千仏洞へ行ってみる。4ヶ所位あけてもらって中を見るがみんな荒らされていてちょっと絵が残っているくらいである。米国人も、これじゃ敦煌の方がいい!と言っていた。まさにそうだ。しかし目前にせまる山は見事だ。

遠くに天山山脈も見えた。券を買おうとした時米国人と中国人で何やらもめごとをおこしている。後で説明してくれたが、彼らは中国で働いているし給料が少ないから人民料金でいいらしいのだが外国人料金を取られたとのことである。そしてさっきの三蔵法師一行の像へ行ってみんなで写真を撮り車に戻る。車は13:30ごろトルファン賓館へ戻ってくる。昼の厚さで休息である。17:30からまた4ヶ所行くらしい。みんなで昼食を食べて14:30部屋に戻ってくる。
日記を書いて風呂に入って16:30ころ部屋を出てロビーに行くと昨日の夜ロビーにいた日本人がいた。この人やたらと詳しいのだ。いろいろ疑問点を尋ねる。トルファンから出発のカシュガル行きは火、木、土出発らしい。これではチェックアウトする日を1日延長しなければならない。ウルムチからは1日2本出ているが多くの人が乗るらしく前々日に切符を買っておかないとつらいらしい。
2人でジュースを飲みに行き、私はオレンジジュースを飲む。その後レセプションでチェックアウトを延ばしてもらおうとするが人がいっぱいいてやめる。やはりまずウルムチへ行って先に火車の切符を買ってしまった方がいいだろう。そして17:20にCITS付近に行くと米国人ジェリーさんがいた。17:30タクシーは出発する。
まずはホテルからすぐ近くの蘇公塔へ行く。暑い。息苦しい。立派な塔が立っている。彼ら(米国人)は前日の夜にすでにここに来たらしい。日本人のバスツアーの人もいる。中には何もないがまぁまぁである。次に行ったのがぶどう園のような所である。一面ぶどうだらけで中は涼しい。ぐるりと一周して来るとバスが来た。日本人のツアーの人達だ。ちょっとおばさんと話す。彼らは上海からウルムチへ行ってトルファンに来てすぐらしい。1人で来たの?立派ねぇと誉められてしまった。その間にジェリーさん達は向こうへ行って椅子に座っている。私もそちらへ行く。ぶどうを食べるらしい。4人で4元。食べようとするが中身がなかなか出てこない。みんなそのまま食べているので真似して食べる。話によると中国&米国ではぶどうはそのまま食ってしまうらしい。それにこのぶどうは皮ごと食べてもうまい。のんびりと食べる。池には鯉がおよいでいた。
そして次が天山山脈から水を引いている地下水道である。ここにも日本人バスの人達がいた。水を少し飲んでみる。味はよく分からないが冷たい。そしてここにはぶどうを干すところがあった。
そして最後に行ったのが、交河故城である。橋がぶっ壊れていてタクシーは川を突き抜けて進む。急な坂を登って車ごと中へ入っていく。さっきの高昌故城と似ていた。まずはみんなで塔に登り写真を撮る。その後はバラバラにみんなどこかへ行ってしまった。私はます中央の所へ入っていく。高昌故城と同じような感じである。そこを出てから向って左側に行ってみるとすごい崖があって思わず足がすくむ。タクシーのところへ帰ってくるがナンシーさんしかいない。そこでまたぶらつく。そのうちみんな来た。ジェリーさんが2枚写真を撮ってくれて今日の見学は終了である。車はトルファン賓館へ向う。9:00ころ到着。そして4人で夕食を食べる。彼らはうどんみたいなやつを注文したが辛いらしく汗だらだらで全部食べたのはナンシーさんじゃない方の女の人だけだ。私は米飯2、紅焼牛肉、魚肉片というやつを注文。調子にのって食べるがいままでろくに食べてなかったので胃が小さくなってしまったらしい。食いすぎだ。そしてホテルへ戻ってくる。みんなとお別れである。「おやすみなさい」を言いたかったのだろうが「こんばんわ」と日本語で言ってくれた。「こんどアメリカにきなさい!」といわれた。3人と握手して別れる。
話は前後するが食堂で私の太っていたときの写真を見せたら、年号(昭和)。これはなんだ!と聞いてきた。説明するのに苦労したが分かってくれたらしい。それにジェリーさんは自分の住所を教えてくれた。部屋に戻って一服してビールを買おうとロビーへ行くがさっきの詳しい日本人とあってなぜか中国版コカコーラを飲む。まぁまぁの味である。その後またビールを買いに行って0時過ぎに消灯。

 

 
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