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火車でのこと


<8日目>1988年7月28日

7:00 うるさいラジオ放送で起床。歯を磨きに行く。外はまるっきり砂色の山でシルクロードしている。すこし寒いと思ったら車内は15℃しかない。いつもの灰色シャツを着た。きのうの夜は列車のスピードが非常に遅かった。それに音がシュッシュッポッポで煙のにおいもするし蒸気機関車である。多分登りだったのだろう。関中盆地から抜け出るために。
そして約束通り写真を撮る。まず彼女らのカメラに3人で写り、そして私のカメラで2人を写す。(念のため2枚)
その後いろいろな話をした。彼女らはカシュガルへは行かないらしい。私が行くと言ったらびっくりしていた。バスでで行くと言ったらそれはディンジェラス!だと。飛行機で行った方がベターだそうだ。彼女らも周さんにいろいろ中国語で聞いていた。お互い旅の情報交換である。
途中、張液でホームに降りる。「It is famous station!」というので出てみた。ここで列車の写真を撮る。そして昼からまたトランプである。どうしても勝てない。また男の人2人も来る。そしてもう1人の仲間の女の人がどうも虫に刺されたらしく足がはれている。饒さんが薬をあげていた。
13:20ころになって、みんな荷物の整理をし始め、下車の準備である。そして13:40酒泉到着! 私と周さんでみんなをホームまで見送る。みんな日本語で「さよなら」と言ってくれた。

みんな降りてしまい、また2人きりで静かになってしまった。酒泉まで来てもう火車生活も終わり近くなったと思ったが、まだトルファンまで1000kmもある。なんと遠いのだ。。。。 そして14:20に着いたところがあの嘉峡関!「万里長城西端」と書いたら対、対! そしてあの嘉峡関が見えた。思わず写真を撮る。その後は周さんと筆談である。「中日両国人民世世代代友好!」と書いてくれたので、周さんと握手。そして周さんはあの田中角栄を知っていた。そして「中日両国人民団結、亜洲安定」とかいろいろ書く。そしてなぜ中国はチャイナというのかというのも教えてくれた。清帝国の清はチンというのでチャイナになったというのだ。私は秦からChinaとなったと本で読んだのだが。。。
15:15玉門着。周さんがお茶をくれた。
17:20疏勒河着。もう30℃近いのだが汗が出てこない。この日も食堂車へは行かなかった。周さんがいろいろくれるしまだパンもある。
18:30突然中国の女の人が来る。どうやら新疆の人で周さんと知り合いらしい。大学2年生で経済管理専攻の朱さんである。なかなか美人である。はじめは周さんと話していたが、またもや私と筆談である。
「あなたは大学3年、私は大学2年で経済管理を勉強している」とか、「これからどこへ行くのか?」とか、「中国に興味があるのになぜ中国語の会話を勉強しないのか?」とか、「中国にどんな感情をもっているか?」とかいろいろ。
「我尊敬中国的歴史」と書いたら、周さんが「敬→重、的→の」と書いた。1時間ほどして、朱さんは行ってしまった。その後タバコの話。周さんは「春城」というタバコを出してきて、これが好きで30年吸っていると言って出してきた。なんとノンフィルタータバコである。くれたが強い。味はまあまあだった。ついでに春城は昆明のことでその他、花城、水城、雪城等教えてくれた。
新疆と北京では2時間の時差があることも教えてくれたが、私は困った。はて時計をずらすのか?しかし列車は今までの時間通りに駅に止まるからずらす必要はないのだろう。
そして8:30柳園着。また新しい人が入って来た。1人は長春市の人だそうで筆談で、「大日本司令部〜」と書いてきたから、この人日本人に反感を持っているのか?ヤバイと思ったが、自分の住んでいるところらしい。もう1人はリンゴとかいろいろくれた。「我練習柔道、初段」と書いたら、「最高幾段?」と聞いてきた。そして22:30ごろやっと暗くなってきた。23時すぎ消灯。

 

 
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