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出会い


<7日目>1988年7月27日

6:00ごろ起床。6:40には西安駅に到着。駅から城壁が見える。周さんと一緒にホームに降りてぶらつく。今日もメシにありつけるか自信がないので必死にパンを買う。7:08出発。出発後もしばらく城壁が見える。が今日はなんだかねむい。上段の自分の席に行って7:30〜寝てしまう。
11:45に起きる。母の夢を見てしまった。みなさん日本では大変だろう。今日は父の手術の日だ。
起きるとラジオから「いい湯だな」が流れてくる。それにしても退屈である。話は出来ないし、ラジオはうるさいし、しかしこの子供とじゃれていると楽しい。「几点了?」、「几点了?」と聞いてくる。腕時計を見たいらしい。寝て本を読もうとするとハンガーで突っつくし、そのたんびにお父さんにどなられている。

西安をすぎて6時間。だんだん外の景色が変わってきた。ハゲ岩山である。そして12:40には天水に到着。体が汚くなってきた。頭もかゆい。だんだん油をつけたみたいな頭になってくる。今日はまた朝から食堂車へは行っていないが西安で買ったパンと石家荘で買ったジュースだけが頼りである。それにあまり腹も減らないし、まぁ大丈夫だろう。14:50ころから雨が降り始めてきた。子供連れの人たちも最初はウルムチまで行くのかと思っていたら、蘭州で降りてしまうそうだ。蘭州には18時には着いてしまうので会話集を見つつ写真を撮らせてもらうことにした。パチリ!そしてハゲ老人の住所も聞く。焦さんというらしい。日本から手紙を書かねば! そしてとうとう蘭州である。この子供は最後までじゃれついていたがかわいい子であった。18:54蘭州到着。みんな降りてしまった。

これでこのコンパートメントも私と周さんで2人でゆったりできると思いつつ。。女の人が2人入ってきた。どうも香港の人らしい。仲間が他の部屋にもいるこの人たちが来て私の火車内生活は一変した。英語が通じるのだ。おまけに中国語も。従って周さんと間接的に会話が出来るのだ。それにメシの食い方も教えてくれるし、弁当は買えるし、おまけに食堂車へ行ってトマトが入ったソバを食べることができた。うれしい。やっと飯らしい飯が食える。この2人の香港娘がトランプをやり始めた。そこへ周老人が何やら言っている。そして3人で始めた。何やら昔やったことのあるようなゲームである。そこで私も入れてもらう。
実に楽しい。さすがに周老人が提案しただけあってなかなかうまい。私は1回も勝てない。。。。
そのうち彼女らの仲間が来る。ひょろひょろのいかにも香港人という男の人2人だ。話をしたりトランプをしたりで最高である。香港の人たちと仲良くなると旅が何倍も楽しくなるとガイドブックに書いてあったが本当だ。
話をしていろいろなことが分かった。例えばウルムチ→北京の火車票は5日くらい待つとか、ウルムチ〜カシュガルは毎日飛行機が飛んでいるとか。。。いゃー参考になりました。さすがウルムチの人周さんである。
この同室の香港の人達、1人は太っていてもう1人はへっそんに似ている。そこで「あなたは私の妹に似ている。写真を撮ってもいいですか?」と尋ねたが明日の朝にしてくれと言われた。日本に来たことはないらしく、実は2人とも大学を卒業して先生をしているという。日本は物価が高くて行かれないという。そこで「日本に来たときは連絡してください」といって連絡先を教えた。するとむこうも教えてくれた。(饒国珍さんというらしい。)
急にみんながマジマジと言い出した。マジなんていう言葉を知っているのかと思ったらマッチのことで近藤真彦のことであった。中森明菜も知っていた。日本の総理大臣は「中曽根」だそうだ。(実は竹下さんである。)
それから周さんがトルファンで降りる人を紹介してくれた。隣の部屋の人たち2人である。
来年はこの人たち(香港の人)は夏にヨーロッパへ行くという。。その他いろいろ話した。
本当に今日はこの人達が来てくれて楽しかった。助かった。感謝、感謝!
23時をすぎてトランプをやめて寝た。

(寝る前にビールを飲もうとして缶をあけるとドバーッと中身が噴出してしまい恥をかく。饒さんがモップでふいてくれた。)

 

 
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