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北京へ


<25日目>1988年8月14日

5:20起床。荷物点検をしているうちに手荷物の黒いカバンのチャックがとうとう完全に壊れてしまった。今までも部分的に閉まらなかったのだが全部閉まらなくなってしまった。
8:00民航前だが窓を開けてみるとどうやらバスは走っていらしく歩いて行かねばならないかもしれないので7:00にはホテルを出た。まだ真っ暗である。
ホテルの入口には羊がいて道にはロバが走っている。昼間はこんなことは考えられないのに。早朝はウイグルの町となってしまっているようだ。バスは走っていないので歩くしかない。これがかなりの距離である。もくもくと歩く。
反対車線に三輪車タクシーが走ってきたが行ってしまう。・・・・と思いきや私の横に来た。ラッキーである。これに乗せてもらう。
7:20に民航前に到着。既にかなりの人が来ていた。香港人が多い。彼らも北京へ行くのだろうか?その後続々と人が集まり、あるいはタクシー、あるいは歩いてやってきた。
10分くらい前にはバスが2台やってきて8:00ちょうどに出発である。もうかなり明るい。バス料金は1.5元。空港に着き中に入ってみると今日はかなりの飛行機が飛ぶようだ。広州行きもあった。香港の人達は広州行きのバッゲージチェックインに並ぶ。
私は北京である。前の方に並ぶことができた。看板には9101便と書いてある。チケットには9105である。さまかと思ったが9105に変更されたらしい。チェックインはすんなり終わり、ボディーチェックも簡単に通過する。初めて金属探知機にひっかからなかった。この調子だと予定通り飛ぶだろう。
腹が減ったので待合室の上へ行ってみるが変なのしかないので降りてきて待つ。まだ離陸予定まで1時間くらいあったが待つ。
9:45搭乗である。中国人が私の窓側の席を占領していたが押しのけて座る。今回の旅では飛行機の席は全て窓側であった。予定出発時間9:55で、10:15に飛行機は飛び立った。そういえば出発するとき解放軍3人が整列して敬礼していた。
11時前弁当が出てくると同時に音楽が流れてくる。なんと襟裳岬である。次はみちづれ、別れても好きな人・・・・・・。日本の歌が続々と流れてくる。コーヒーを飲んだ後アイスが出てくる。
途中、天山山脈等が見えたらしいのだが私の反対側の方向だったので見ることが出来なかった。黄河だけは見ることができた。
次第に雲が多くなってきて飛行機は高度を下げる。天気予報通り北京は雨だ。
13:15北京首都空港到着である。ちょうど3時間。これも予定通り。うれしい。
空港で荷物を受け取り外へ行こうとするとタクシーの誘いが来る。これに乗り、イェンシャンホテルへ向う。20元。
フロントでチェックインを申し込む。予約していないというとちょっと待て!で電話をしている。宿泊期間を聞かれたがどうやら泊まれるようだ。14:10ごろ部屋に入る。1305号である。
14:30にホテルを出て国際飯店へ行ってみる。すごくいいホテルだ。4階のイラン航空オフィスへ行ってみるが日曜日は休みとのこと。おとといリコンファームしておいて良かった。しかたなくホテルに戻ってくる。40元。
日本へ電話をしようとするがどうも電話が通じない。2階のお土産屋にマイルドセブンを買いに行くがセブンスターしかなく2個買ってきて吸う。セブンスターもかなりきついので安心した。
その後風呂に入って18:00。18:30になってあの中庭レストランへ行く。ああ高い。チャーハンなんかカシュガルの5分の1の量で値段は6〜7倍である。
部屋に戻ってきてまた家に電話をするが通じない。乃身宅にかけてみたら通じた。カシミヤのセーターを買って来いとのこと。なんで私の家はいつも通じないのだろうか?広島の長井宅にはかかった。まだ広島にはいないらしい。大谷氏にも電話が通じたが北京では会えないだろうとのこと。
20:00ごろやっと我が家に通じた。お父さんの手術が成功して目が見えるようになったとのこと。大和はまだ第3段階に入っていないらしく塾はちゃんとやっているらしい。へっそんがずいぶん心配しているらしい。まぁ、お父さんが目が見えるようになって本当に良かった。
20:30あまりにもあごひげが気になるので思い切ってビューティーサロンへ行ってみる。中国で床屋へ行くことになろうとは! この人ひげそりがすごくうまい。ほとんど剃り返すことなくきれいに剃ってしまった。3元。鼻ひげは残してもらった。その後ビールを買いに行くが売っていない。バーへ行けと言われてしまった。
23:00ごろ寝る。

 

 
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