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お別れ


<24日目>1988年8月13日

8:30起床であるが、7:00ころI氏が私の部屋にナイフを忘れていったのをとりに来たことを覚えている。
起きてタバコを吸っているとY氏が9時ころシャワーを浴びに来た。彼らは部屋が取れずに会議室のようなところで床の上にシーツを敷いた所に寝ているらしく部屋にトイレもなければシャワーもないらしい。Y氏がシャワーを浴びている間にS氏も来た。
10:30になったので下のレストランへ行く。M氏家族、タシクルガン夫婦もいた。彼らは4元のセットで私は3元のセットの朝食だがこの1元の違いは単に卵1個とミルクがつくだけであった。
そして彼らの荷物を私の部屋において昼から外へ出かけることにした。S氏はバスに乗ってどこかへ行ってしまった。私とY氏はバザールへ行く。去年来たところだ。バザールでY氏と別れ、1人でぐるぐると歩きまわって見物する。去年シシカバブーを食べたあたりでまた食べる。これが食いおさめで10本注文する。うまい。1本2角で合計2元。更に奥へ行って日本のソバみたいなものを食べるこれが1元。これで少しは落ち着きお土産を見に行く。まず靴である。大きさが分からないが一番小さい22.5の靴を買った。外貨5元。次に人民服は青のやつで14元。ナイフは7元のものを3本。これで人民元はなくなってしまった。
バザールの反対側に出て13:30ころホテルへ戻るがまだ掃除をやっているらしく新館のロビーでタバコを吸う。部屋に戻ってきて本などを見つつボーっとしているうちに意識が遠のいていき今にも寝ようとしてしまったときS氏が来てくれた。助かった。ここで寝てしまうと明日の朝起きられなくなってしまう。
S氏はシャワーを浴びて再び出かけていった。17:30ころには今度はY氏が帰ってきて再びシャワーを浴びそのうちS氏が夜光杯を買って戻ってきた。19:30からテレビをつけてニュース、天気予報を見る。東京では地震があったらしい。天気予報では明日ウルムチは晴れ。しかし北京は雨で涼しいらしい。飛行機は飛んでくれるだろうか?
20時から下の食堂で夕食である。麻婆豆腐や肉とか注文して私はミーファンを3杯も食べてしまう。カシュガルで胃が大きくなってしまったらしい。食後隣にいたタシクルガン夫婦とお別れの握手をして部屋に戻る。
21:30彼らはとうとう北京に向けて出発である。S氏が飛行機をキャンセルして一緒に火車で行きましょうと言ってくれたが私の決意は固い。ダフ屋から買った切符はあきらめ明日の飛行機で北京へ行くのだ。
部屋を出て階段をおりたところにM氏らがいてお別れの挨拶である。売店へ行き日本語のうまい男の人とS氏で写真を撮りホテルを出る。新華南路を北へ歩き最初の交差点を左に曲がり10番バスの新華路バス停まで見送る。また日本で会う約束をしてバスは行ってしまった。私はホテルへ戻ってきて売店で青島ビールを買って部屋に戻って1本半飲んで23時ころ寝れた。この日は頭が痛くて薬を飲んだし、それで寝れたのだろうか? まあ昼寝ぐせがついていたが今日は頑張って寝なかったので頭が痛くなってしまったのだろう。

 

 
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