<22日目>1988年8月11日
8:00起床。天気はひじょーに良好。あの4人は今日カラクリ湖へ行くのだ。うらやましい。しかし天気が良ければ飛行機も飛ぶだろう。しかし12:30出発の予定が21:30に変更になったという話を聞いているのでなんとなく不安である。
タシクルガン夫婦(Mさん)家族3人と10時にコーヒーショップで待ち合わせていたので行ってみる。すぐに夫婦2人が来た。少年はまだ寝ているらしい。が10時になったのでジョンが行こう!と言い出し、彼らは慌てて荷物の整理と少年を起こしに行った。
少々時間がかかったが出発である。空港へ行ってみるがドアは閉まっているしどうも変更の話は本当だったようだ。しかたなくこのワゴン車は引き返す。ホテルに帰ってきてから4人でバザールへ行く。M氏がキルギス族の絨毯を買いたいらしいのだ。私もまだお土産をまったく買っていないので帽子かなんかを見に行こうと思ったのだ。馬車でエイディガール寺院の前へ来る。ここは何回来たことだろう。ここから寺院前の広場の更に向こう側の道へ行く。私はこの道は初めてだ。自動車の部品とか変なのばかり売っている。しばらく歩いてその絨毯屋へ入る。かなり大きなものだ。こんな大きなものを買って大丈夫だろうか?
そして来た道を戻り横道に入っていく。ここは帽子街とでもいうべきところか?毛皮の帽子やらウイグル帽子やらいろんなものが売っていた。毛皮帽子が欲しかったが150元もするのでウイグル帽子にした。そこから更に行くとナイフ屋があってここらへんで夫婦2人は帰ってしまい、私とこの少年でバザールを歩く。ここから先はサンデーバザールとかいうところに通じる道だそうであぶなそうなのでやめた。
というのもこのサンデーバザールは最近コレラが流行していて閉鎖されているとのこと。またカシュガルでは今B型肝炎が流行っているらしく、ホータンでは2号病とかいう病気の流行で団体客しか入れないそうだ。まったくこのカシュガル・ホータン地区は恐い。
そしてバザールからぬけ出て、エイティガール寺院前の広場に出て、そこから職人街?に行ってみる。子供が後ろからついて来るので一緒に写真を撮る。
また少し行ったところでは私が写真を撮っていると青年が現われて写真を撮ってくれとのこと。撮ってやるとaddress!とかいって住所をよこした。住所は漢語だったが、氏名がウイグル語で全然分からない。そこから馬車を見つけてホテルまで1元。SEMANホテルについて昼食である。というか朝食である。私はトーストとオレンジジュース。そしてあとはただ飛行機の出発を待つだけ。
ところであの4人のことについて書くのを忘れたのでここで書いておく。
私が朝コーヒーショップの前へ行ったら彼らが車に乗っていた。まだ出発していなかったらしい。車はきのうのとは全く違ってのボロ車。ドライバーが一所懸命点検している。彼らはあきれ返っている。クラクションは車の命!だから一所懸命に点検している。そしてM氏らが来る直前にスタート。フランス人が1人加わって計5人だ。行ってしまってM氏と話をしているとしばらくして車が帰ってきてしまった。なんと彼らはパスポートを忘れてしまったらしい。男の人1人はこのSEMANホテルでパスポートはすぐにもらえたが、他の男2人と女1人はオアシス賓館なのでパスポートをなかなか返してくれないらしい。なんだかんだ30分ぐらいして再び出発していったとサ!
午後はまるっきりやることがない。ずーっとコーヒーショップにいて本を読んだりジュースを飲んだり、ぶらぶら。。。
さっき町中で会ったタシクルガンに行った人たちもコーヒーショップの奥に座っていた。彼らもここのタクシーで行くようだ。
ジョンの頭があまりの寝癖の悪さにボサボサなのでM氏が頭髪セットをしてあげたり、馬タクのしつこい来襲で、ハローチェンジマネーの来襲。あまりにもチェンジマネーがうるさいのでM氏思わず人民元を出してチェンジマネー!と言ったらどっかへ行ってしまった。これはいい手である。
20時にここを出る予定だったので車が来たから預けておいた荷物をもっていこうとするがジョンによると違う車らしい。30分待てとのこと。これじゃリムジンバスより遅くなってしまうわい。タシクルガン夫婦も一緒の車のようである。
20:10車が来た。しかし普通の乗用車で我々しか乗れない。タシクルガン夫婦はジョンに文句をいう。がそんなことは関係なく車はスタート。20分くらい走って20:30空港へ到着。バッゲージチェックインの列に並ぶ。
この建物、中は非常に砂っぽくて暑い。ひたすら扇風機の下でタバコを吸う。そのうちタシクルガン夫婦も来た。彼らによると離陸時間が23:30に変更されたらしい。ありゃりゃりゃ、、23:30といえばもうカシュガルも暗くなってしまう。ウルムチに着いたらどうするんねん。
23:30発とのことで、チェックインがなかなか始まらない。そのうち列が3列になったとの噂有りで、右側へ列を変更する。これが実は重大なあやまちだったのである。そのうちチェックインが始まり、左側の列はどんどん進む。なんと右側は次の24時発の列らしい。チェックインを済ませたあとみんなは滑走路へ出てしまいくつろぐ。ここで帯広の大学の女性と会う。彼女もウルムチでは華僑賓館へ泊まるらしい。日は沈みボディーチェックのため再び建物に入りチェックを受ける。ウルムチでは財布まで空けられ十円玉を不思議そうに見ていたがここはポケットの中身を全部出せられた。こんな厳重にするのになんでチェックの前に滑走路に出させるようなことをするんだろう。
待合室でまっていると、23:50飛行機がやってきた。乗り込むのにまた時間がかかり離陸したのは結局0:50。予定より12時間遅れである。私の席は後方左側の窓側でエンジン音がうるさかったがほとんど寝ていた。離陸直後カシュガルの町の夜景?がかすかに見えた。
ウルムチ空港へは2:10に到着。20分も早く到着する。SEMAN前の食堂でパキスタン人と話していた香港人に荷物受取り場所を聞いて行く。M氏らは机場賓館へ部屋を探しに行くが満員らしい。しかたなくまたみんなで市内へリムジンで行く。バスに乗ったのが2:40。CAAC前到着は3時過ぎ。ここからあの帯広の人とM氏と一緒にタクシーに乗り、華僑賓館に着いたのが3:30.このタクシーF.E.Cとか言ってきたが無視して入る。帯広の人はドミトリー、M氏がツイン、私はシングルを頼んだがシングルとツインが同額。おかしいと思って部屋へ行ってみるとなんとツイン。まぁいいか。60元。4時過ぎに寝る。
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