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再びカシュガルへ


<19日目>1988年8月8日

6:00起床。人間意識すれば朝早く起きることなど簡単なものだ。外の水道で歯を磨く。昨日の朝は水が出なかったので久しぶりの歯磨きである。犬の鳴き声が聞えてきて恐かった。もちろん真っ暗である。8:00出発と昨日いわれたので、7:10ちょっと早めにホテルを出る。トルファンワインは部屋においてきた。真っ暗なのだが道には明りがついていて人が道路掃除をしていた。7:20ごろターミナルに到着。もう人が来ている。しかし門は開いていない。そこらに座りタバコを吸いつつ開門を待つ。続々と人が集まってくる。8:00になっても門が開かない。トラックが無理やり門を開けさせたのでこれで入れるのかと思ったらまた閉めてしまった。その後少しして入れた。かすかに明るくなりだす。乗るバスを確かめて乗車を待つ。乞食がいて結構みんな乞食に恵んでいる。
9:00乗車である。切符確認の女の人がなんだか漢民族優先でバスに乗せている。私もすぐに乗れた。窓側の席でなかなか良い席だ。隣はウイグル人の人2人(人民服を着ている)。9:15出発である。予定を大幅に遅れて出発である。
莎車側に近いほうの道は良くてバスは軽快に走る。少し寝てしまったが後はずっと起きていた。前に座っている子供がさかんに後ろを振り向くので見つめあってニコリ。となりのおっちゃんは自分でタバコを作って吸っていて灰を捨てるのに苦労していたみたいだから日本からもってきたミニ灰皿を貸してあげたら笑っていた。この人たちにも「我是日本人」と書いて見せたがどうも漢字が読めないらしい。後ろの人が読むのを聞いて分かったようだ。あと学生証を見せたり、北京、トルファン、ウルムチ、カシュガルを通って来たことなどを教えてあげた。
しばらく走ると左側に山が見えてきた。はじめは黒っぽい山だったがやがて雪をかぶった大きな山が見えてきた。莎車へ行くときは寝ていたせいか、こんな山は見なかった。しかし今日は莎車付近は雲が多く、それに山が遠いので写真は撮ったがあまりきれいには写っていないだろう。カメラを出したらみんながジロジロと見る。ちょっと私が何かをしようとすると注目されてしまうのだ。
そして11:45、あの前にも寄った休憩所に到着。これは早いペースだ。このままだと14時過ぎにはカシュガルに到着するだろう。はじめはバスにずっといようとしたが運転手に追い出されてしまう。ここはナイフで有名らしいので1本買った。20元。
12:30運転手がクラクションを鳴らしてみんなを呼んでバスはスタート。しかしこの休憩所でわけの分からんやつらが乗り込んできた。そのうちの1人は、きのうだったかおとといだったか忘れたがCITSを探しているときに会った小僧がいた。しばらく走ってまた工事中の砂利道に入りかけたとき検問があって切符を調べに来た。さっきの休憩所から乗ったやつらは当然席が無いので通路にいたがすぐにばれてしまい降ろされる。しかし検問官がいなくなってまたみんな必死で乗ってくる。が、また見つかって降ろされてしまいバスは動き出す。が、1人が入口の所につかまって離れない人がいて、そのうちバスは対向車を待つために止まってしまい、またみんなが乗ってきてしまった。車内は大爆笑である。
14時ころにはカシュガルに着くだろうと思っていたが、14:30ごろ変なところに止まってしまいみんな降ろされる。多分給油であろう。20分後に再び出発し15時にはカシュガルのバスターミナルに到着である。ターミナルでロバタクを見つけ3元+1元+1元で再び老賓館にやってまいりました。フロントに行って一番いい部屋を聞いた。70元でツインだ。この人日本語が話せる。部屋に入ってコーヒーショップへ行くが席が満員でうろうろしていると変な人がハロー。ここへ座れというのである。隣に日本人らしき人が2人いたのでそっちへ行って話を聞く。彼らはタシュクルガンへ行ったそうだが途中カラクリ湖までの道は崩れてしまっているらしくバスが通れないとのこと。崩れたところを人だけが通ってバスはそこで往復しているらしい。これじゃカラクリ湖には行かれません。ところであの日本人夫婦は大丈夫だろうか? ここでオレンジジュース2本と菜炒飯を食べ部屋に戻り風呂に入る。久しぶりの風呂であるような気がする。はじめは水しか出なくて困ったがそのうち湯も出てきた。
8:00からあの向かいの食堂のチャーハンが食いたくなったので行く。チャーハンとビーフwithマッシュルームとスープwithヴェジタブルで4.7元。今日はたて続けに2食も食べてしまった。相変わらずチェンジマネーがうるさい。
本を読んで0時過ぎに寝る。

 

 
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