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ホージャ墳


<17日目>1988年8月6日

10:30起床。だんだんこちらの時間の生活に慣れてきてしまった。他の人たちは12時ころまで寝ているという。今日はカシュガルの一番の見どころであるホージャ墳へ行く日だ。コーヒーショップでパイナップルジュースを飲み、ロビーへ行って昨日書いた手紙を出す。切手が5つしかなかったので5枚しか出せなかった。12時にホテルを出る。馬タクが寄ってくる。そういえば昨日民航の往復のときに乗った馬タクの子供もいた。彼とホージャ墳へ行く約束をしていたのだ。しかし別の人のに乗ってしまう。悪いことをした。
馬タクは結構スピードがあったが昼間の車両規制で町を遠回りして40分くらいかかってホージャ墳またの名を香妃墓に到着した。途中これがホージャ墳か?というような建物があったがカシュガルの市場らしい。子供達が馬車に乗ろうとして追っかけてくるが女の子が倒れてしまった。ちゃっかり乗っていた子供もいた。ともかくホージャ墳に到着。

馬車を待たせておいて入る。入ると池があって門をくぐり、とうとうありました。天気はいいしこれは本当にいい被写体である。正面から右回りに後ろにまわり、壁によじ登って隣のたくさんの墓を見る。そしてまた正面に戻ってきて中に中に入ってみるとたくさんの墓があった。多分ホージャ一族の中の偉い人たちの墓だろう。この中にあの香妃の墓もあるのだろうか?
再び馬に乗り、エイティガール寺院のところまで来て5元払って馬車とはお別れしてバザールへ行く。

ほとんど洋服の生地とか帽子とかハンカチだった。途中バザールの中で足のない乞食がいた。バザールをぬけてCITSを探すために道を歩く。暑い! カラクリ湖までのジープをチャーターしたいのだ。結局そのときは見つからず2人と別れて私1人で探すことにした。2人はバザールへ行った。馬車のおっちゃんにCITSのあるホテルの地図を見せたが知らないらしくいろんな人に聞いていた。分かったようなので馬車に乗る。着いてみるとなんと我らが宿泊している老賓館のすぐ近くではないか! 入ってみると本当にパキスタン人が多い。このホテルはパキスタン人が多くてあまり泊まらない方がいいらしい。靴を盗まれた人がいたそうだ。そこらへんを歩いていたパキスタン人にCITSまで連れて行ってもらいカラクリ湖までのチケットを買いたい旨伝えたのだが日本語で「無い!」という返事が返ってきた。この人は日本語がわかるらしい。「バスターミナルへいけ!」だと。
しかたなしにホテルへ戻ってくる。(15:10)
コーヒーショップでチャーハンとオレンジジュース2本飲んで部屋に入る。私が便所にいる間に同室の早大の2人も帰ってきた。バザールでお土産を買ってきたらしい。私はこのままカシュガルに1週間いてもしょうがないので、16時にホテルを出て馬車でバザールのところまで行き、そこからひたすら歩いてバスターミナルまで行き、ヤルカンド行きの明日のバスの切符を買う。5.4元。なんとタバコの半額である。カシュガルからヤルカンドまでは約200km。ちょうどウルムチからトルファンまでと同じである。ホテルまでの帰りも歩くしかない。非常に暑く感じられた。一旦部屋に戻った後、4人で向かいのレストランに行き夕食を食べた。私はミーファンを注文したのだが量が多くて食いきれなかった。その後ホテルへ戻ってきて19時には留学生は民航へ行ってしまった。彼は今日ウルムチへ飛び立つのだ。その後ぶらぶらしていて22:30にコーヒーショップへ行きワインとヤキソバを食べる。ここは夜になるときれいなので写真も撮った。2人とも蚊にさされてかゆいらしく早めに部屋に戻る。私は1ヶ所も刺されないのに!
今日は早く寝よう。目覚ましをセットしようとしたが壊れてしまった。ピンチ。

 

 
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