揚柳観音 |
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本尊の観音菩薩像は聖武天皇の勅彫にして行基菩薩の点眼と伝えられる。当国来至の由縁、弘安6(1283)年甲斐の国巨摩郡原田の庄より武田信隆が安芸の国の国司として西下の折、近江の国きぬ川を渡らんとする時、馬の尾に食いつくものがあるので不思議に思い調べてみると、甲斐の国に残しておいた武田家に伝わる楊柳観音であった。信隆は大変喜び、武田山麓の粟原(現在の青原)に堂宇を造り、これを安置した。 |
1283年、武田信隆が安芸国に下る時、旅の途中で馬の尾に喰いつくものがあるので調べてみると、それは甲斐に残した武田家に伝わる楊柳観音でした。信隆は大変喜び、武田山麓に堂を造り、これを安置したと伝えられています。その後1340年に兵火でお堂が焼け、武田信栄が西原に移して安置しました。
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