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静岡県浜松市

鎧掛松

2015年02月07日

浜松市役所西駐車場、南西の隅に「家康鎧掛松」がある。もとは浜松城内庖丁堀のそばにあった。元亀3年徳川家康が三方原合戦より帰城し、この松の木の下に憩い、着ていた鎧を脱いで枝に掛けた、という由緒から「鎧掛松」と言われている。
一説には家康が武田方戦死者の首実検をした場所であるとされ「首実検の松」とも呼ばれている。
明治維新の時、静岡藩浜松勤番組頭井上延陵はこの松の保存に力を尽くし、大正8年には旧徳川幕臣有志一同が松の木が生えている一画の土地を浜松市に寄付し、松の由来を記念した。
大正14年3月25日、浜松市は皇太子殿下御成婚記念として「徳川家康鎧掛之松」と刻んだ石碑を建てた。
昭和4年9月9日、暴風雨で幹が折れてしまったので、伐採されるのをやむなきに至った。その後昭和34年4月、皇太子殿下御成婚記念として植樹されたものである。元の「鎧掛松」は約20m南西のところにあったと言われている。
そして今の松は更に移転して3代目である。
(浜松の史跡より)

 



2004年04月30日

元亀3(1572)年家康は三方原の合戦から城に帰り、大きな松の木陰で休んだ。そのとき鎧を脱いでその松に掛けたことから、鎧掛松と呼ばれている。この松は昭和56年に元城町の人々の手により植樹された三代目。初代は浜松城内の堀のそばにあった。また当時鎧掛松近くの清水で合戦により疲れた馬の体を冷やしたところは馬冷といって、その地名が今も浜松町内に残っている。
(看板資料より)

 

 
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