横須賀城 |
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横須賀城の歴史 |
西の丸建物跡
現在みられる石の下から、挙大の石をたくさん集めて造った柱石の基礎が検出されています。 |
横須賀城三日月池
当時の堀で現在残っているのはこの堀跡だけです。この城の初期にあった内堀の名残といわれています。 |
松尾山と北の丸
松尾山 |
土塁跡
土塁とは外敵の進入を防ぐために小高く築かれた土手のことです。当時の絵図を見るとこの土塁の上には白壁の塀があったようです。 |
北の丸建物跡石列遺構
この遺構は石列上に建物の仕切り壁が乗る地覆の石列と考えられますが、建物の基壇の石積みの可能性もあります。当時の絵図を見ると、北の丸には倉庫と考えられる4棟の建物が描かれています。南側の表示遺構は5個の据え石が残っていただけでしたが、北側の遺構と方向が合っていることから同一の建物か、同時期の並列した建物と考えられます。なお、二つの遺構の方位は天守台から出土した建物跡ともほぼぴったり合っています。これらの遺構は建物としての規模が確定できないので、部分的な復原表示としました。 |
たたき製防火水槽
当時は板の蓋があったと考えられ蓋用の窪みがあります。側面にある菱形マークは城主西尾氏の火消し紋です。 |
米倉跡
本丸の裏手にあたり数棟の米倉が建っていたところです。 |
二の丸 御殿池跡南端部分出土地点
平成5年の発掘調査で出土した。五段積みの玉石垣で形造られていて、北端は幼稚園前まで続いています。城の初期の外堀の痕跡と考えられ、江戸初期の二の丸整備により機能を失い、御殿の池となったと考えられています。 |
二の丸跡
二の丸御殿が建っていて普段城主が住んでいたところといわれています。
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