安神社由緒
祗園社ともいい初めは銀山(武田山)の麓の松尾山にあって安芸の国鎮護の紙として国司より厚く敬われ祭事及び社殿の維持ははすべて当国の費用で賄われていた。正安年中(13世紀)例祭の日に神輿が御旅所へ御幸中厳島社司佐伯郡桜尾城主平員家が数多の軍勢をひきいて参拝の群集にまぎれて銀山城を攻めた。その際松尾山本社付近の武田家臣の屋敷や民家と共に本社も社殿および神宝その他記録にいたるまで一切を焼失した。幸いに御神体は祭礼のため御旅所(今の祗園社の地)に御幸鎮座中であったため兵火をまぬがれることができた。後武田家によって現在地に本殿が再建された。その後毛利、福島、浅野の各領主によって修理や再建が行われてきた。
明治6年2月郷社となったが、明治43年3月9日火災にかかって社殿神器などほとんど焼失してしまった。ただ御神体だけは難をまぬがれ異常のなかったことは不幸中の幸いであった。そして同年本社再建の許可を受け数多くの篤志家あるいは地方有志の多大な献金により大正2年再建され大正3年遷宮式を、また大正5年3月4日をもって極めて荘厳な落成式を挙行され現在に至っている。
(看板資料より) |