枡形城(山田城) |
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戦国動乱期の弘治3(1557)年の「上杉景虎書状」には「敵方の相拘之候地利より山田之要害ならびに福島之地を打明也」(色部文書)とある。これによって高梨氏が武田氏の北信濃侵攻によって敗れ、上杉氏を頼って越後に逃れた後、ようやく謙信の川中島出兵で山田城を奪回していたことがわかる。 高山村の桝形城はこの日朝一番で訪れたところです。ちょうど農作業の準備をしていた方がいたので登り方を聞いてみたのですが、クマ、サル、イノシシなどがいるのでやめた方がいいとアドバイスされその言葉に従うことにしました。この山には電流の流れている柵があるのだそうです。足も痛かったので麓からの写真撮影で終わりにすることにしました。
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