綿内要害(春山城) |
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城ノ峰城址跡
城郭についての初見は弘治2(1556)年7月19日付の上杉方高梨政頼の今清水氏宛ての感状に「綿内要害落城の砌、最前に入馬し相戦之由、粉骨比類なし」(今清水文書)とある。綿内要害は武田方によって確保されていて、上杉方との間で攻防戦が展開されていたのである。この時期に井上氏は武田方に属した井上左衛門尉の家系と、上杉方についた井上兵庫頭昌満のそれとに分裂した。 |
飯綱さま
天王山は、綿内の人々の憧れの山であり古来より愛され、親しまれてきた山である。この山の麓のすまいがわが古屋である。 |
春山城から川中島方面
春山城は太郎山の尾根にあって上杉謙信烽火台跡とのことでした。初めに蓮台寺に行ってみました。かなり歩きそうだし足も痛めていたので下から写真撮影だけしようと思ってどの山が春山城になるのか聞いてみたところ上信越自動車道を越えて左に曲ったところまで行くと見えることを教えてもらいそちらに行ってみました。そこで農作業をしている人がいたので春山城がどれなのか聞いてみたらよく知っている人のようで丁寧に教えてくれました。彼の話によれば天王山口から登山道が整備されているとのことでした。とりあえず調査のため入口のところまで行ってみたら太郎山トレッキングの案内図があって、それによると頂上までは3600mほどだが春山城までは1200mであるとのことでこれなら登れるかもしれないと思って気がついたら膝のサポーターを装着していました。クマ出没注意の看板も少し気になりました。クマ除けの鈴セットも装着して登り始めました。途中鳥居、拝殿を経て功霊殿まで来てみると北アルプスまで良く見えてすばらしい眺めでした。しかしそこから先の道を見つけることができずしばらくその周辺を行ったり来たりすることになりました。そして実は功霊殿の裏に更にその先に続く登山道を発見したので先に進みました。しばらく登ったところで黒いものが逃げたのが見えました。クマだ!と思って急いで下りました。するとちょうどおじさんとおばさんが登ってきたので、クマが出ました!とうろたえながら話すと、おじさんは慣れた様子でそれはクマじゃなくてカモシカだ!と教えてくれました。私はおじさんとおばさんの後について一緒に登っていくことにしました。そしてさきほどのクマ出没地点まで来るとまたガサガサと動く音がしましたが確かに灰色のカモシカでした。ずっとこちらを見ていました。その後は春山口分岐点を過ぎた頃から傾斜が急になり、ロープも用意されていてまるでフィールドアスレチックのような感じでロープにつかまりながら急斜面を登って行きました。足を踏み外すと崖下まで落ちてしまうようなところもありました。こんなに緊張した山城登りはなかなかないかもしれません。そして30分程度で城ノ峰と書かれた看板の場所に到着しました。そしてその先の大きな堀切りを経て先の郭に登ってみると大きな郭があって、城ノ峰城址跡と書かれた看板もありました。間にあった大きな堀切りはそのまま下ると蓮台寺に行かれるとのことでした。ここで彼らと別れて私は下りました。下りは足が痛くてなかなか歩くことができず大変でした。下まで降りてくるのに40分くらいかかってしまいました。
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