本栖の城山から南方へおよそ1km、本栖湖畔に近いやや小高い所に屋敷跡が存在している。『甲斐国志』には「宅地ハ村並ニアリ、凡ソ方一町許リ」と見え、渡辺囚獄佑の屋敷跡と伝えている。現在は主に畑と山林で、溶岩を利用した石積みが各所に残り、縄張に把握しがたい点もあるが、大規模な屋敷の様相が浮かび上がっている。
この屋敷の虎口(出入り口)は本栖湖に向かった南西隅の石塁端が内側に若干屈曲した構造を持つ個所ではないかと推測できる。そのすぐ脇の石塁で囲繞された個所は硝煙屋敷の伝承を残しており、他の郭よりも狭い。この虎口付近から北側に向けて屋敷跡は大きく延び、溶岩による石塁によっていくつもの細長い郭を配置している。北東隅と思われる一区画には五輪塔が存在し、渡辺囚獄佑の墓として今も祀られている。屋敷に深く関わった人々の墓地として確保されてきたのであろう。
更にこの北側にも溶岩による石垣状の施設が山林中や畑の中に続いているが、果たして渡辺氏屋敷とどう関係するのか不明の部分が多く、屋敷の境界はとらえにくい。
(上九一色村誌より)
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