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山梨県身延町

輪鳴地蔵

2010年03月22日

@勝坂は旧久那土村から旧富里村へ越す峠で、今は身延線一之瀬トンネルになっている。昔、武田信玄がこの峠で休息した時眠気を催し、夢の中に地蔵様の姿を拝した。信玄は目覚めると腰の矢立を取って、付近の石に「地蔵尊」と書いて厚く供養した。後に今川義元の大軍がこの坂下まで押し寄せたところ、山の雑木がみな武田勢に見え、異様なうなり声を発したので、敵は驚いて逃げ去った。うなったのは地蔵にかけてあった金の輪が鳴ったものであり、戦に勝ったからこの坂を勝坂と称し、地蔵を輪鳴り地蔵とよんだ。

A昔から勝(かん)坂峠がある。そこの峠に「輪鳴り地蔵」というお地蔵さまがある。昔、こちら側は武田の軍勢で固めていたが、敵が攻めてきたところ峠の上には数多くの兵隊がいたので、「これではとても攻め落とすことはできん」と思って逃げ去った。多くの兵隊がいて、わけがわからない音がしている。そのために、敵が勘違いして逃げたのである。そのお地蔵さまはおケサを着て、金の輪がついてた。その輪が異様な音を立てたのである。今でもそのお地蔵さまのことを輪鳴り地蔵、輪が鳴る地蔵さまと呼んでいる。

B戦国時代、武田軍の戦況が不利になった時、この地蔵が突然大声を発したので、敵は浮き足立ち、敗れ去ったといい、勝坂の地名もそこから起こったと伝えられる。
(山梨県の武田氏伝説より)

勝坂に輪鳴地蔵があるとのことで「勝坂」というところをめざしました。勝坂公民館の隣の家の人に輪鳴地蔵について聞いてみたところ、それは多分公民館の中にあるものではないかとのことでしたので無理を言って公民館を開けてもらいました。確かに中にはお地蔵様がありました。公民館からは白根山の山頂付近の白い部分が見えたのが印象的でした。

 

 
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