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静岡県浜松市

若子城

2012年02月12日

大洞沢から少し登った所に本丸があり、「遠江国風土記伝」には、「大洞は地名、若子は城名なり、奥山加賀守定吉之を築く、領地は奥山の半分並に雲名、信濃国遠山宇津宇連、三河国奥村郷、都合三千五百貫なり、兄弟和せず、兄美濃守定茂之を潰ゆ」とみえる。
久頭郷城に拠る奥山氏一族の城で、創築年代は不詳であるが、南北朝期であろう。現在、幅5m、深さ3mほどの堀切が残る。
(日本城郭大系より)


若子城への登山道

奥山加賀守定吉霊

むかし、この先の大洞山のふもとに若子城というお城がありました。戦国時代の頃、その若子城主の奥山加賀守定吉は兄弟の戦いに破れ、兄の定茂の手によって城から追い出されてしまいました。この里にはそんな戦国時代の名残を今にとどめる地名が残っています。
「倉の平」は加賀守の倉があった場所、「はぜ本」は旗をたてた場所、「岡田の井戸」は若子城の隠し井戸、「遠見石岩」は見張りをたたせた場所と言われています。
(看板資料より)


堀切

 
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