戸隠神社(奥社、中社、宝光社) |
2004年10月17日 ■ 奥社 ■ |
長野県史跡 戸隠神社信仰遺跡 |
長野県天然記念物 戸隠神社奥社社叢 |
随神門
奥社参道杉並木
慶長17(1612)年戸隠山顕光寺(現神社)は千石の朱印地を拝領した。以降、顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊はその道側に集め、参道や境内には植樹し杉並木をつくり一山の威容を整えた。現在の杉並木はその時代に植樹され約400年である。 奥社院坊跡 |
大講堂屋敷跡
戸隠山は修験道の道場として鎌倉、室町時代は殷賑を極めました。この大講堂は堀河天皇の承徳2(1098)年に建立されました。間口24.3m、奥行き13.5m、礎石60個。 |
戸隠神社九頭竜社
御祭神 九頭竜大神 |
戸隠神社・奥社(御本社)
御祭神 天手力雄命(あまのたちからおのみこと) |
奥社からの戸隠山
野尻湖から戸隠方面に向いました。奥社の参道付近は駐車場に止めようとする車がたくさんいて混雑していました。奥社の駐車場、その手前の竹細工の駐車場、更に手前のチェーン脱着所も満車で止めることができず、更に北側にある駐車場らしきところに車を止めてそこから歩きました。参道の入口には鳥居があってその手前に休憩所もありそばが食べられるようでしたがここも混雑していました。鳥居から先には紅葉で色づいていてきれいでした。私は杖を持って歩き始めましたが最初はほぼ平らな道でしたので意気が切れることはなくいい運動になりました。随神門から先は参道に沿って立派な杉並木が立ち並んでしました。徐々に登りがきつくなり奥社に向う最後の登り坂は少しきつかったです。奥社には木造の古そうな九頭竜社と、その横にコンクリート造りの奥社があってその先には戸隠山を見上げることができ、付近にいた人に聞いてあれが戸隠山であることを確認しました。戸隠山への登山口もあり案内板がありました。武田信玄が祈願したのですから、私は日頃あまりお参りをする人ではないのですが今回は、奥社、中社、宝光社でそれぞれお参りしました。
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■ 中社 ■
戸隠神社 中社 |
戸隠神社中社拝殿天井絵 奥社とともに大勢の人が訪れて賑わっていました。駐車場が見当たらないので中社の正面にある戸隠観光会館に車を止めて中社を参拝しました。中社の近くにあった巫女さんがいてお札などが売っているところで、武田信玄の願文について聞きましたが、あまり詳しくないようで情報を得ることはできませんでした。ただ願文が奉納されたのはこの中社だったのだそうです。
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■宝光社■
宝光社は一番標高が低いところにあります。奥社や中社と比べると全くと言っていいほど参拝者がおらずひっそりとしていました。奥社は比較的なだらかな参道を歩き、中社は容易に参拝可能でしたがこの宝光社は上の写真の鳥居の所から長い階段を登らなくてはなりませんでした。頂上には下の写真のような建物がありましたが、離れてカメラを構えることができなかったので全景を写すことができませんでした。詳しいことは分かりませんが中社の建物と同じように見えました。ここでもお札などを売っているところのおじさんに武田信玄の願文について聞いてみましたが情報を得ることはできませんでした。 |