武田不動尊
永禄年間武田信玄公は穂坂の牧の一部であった地蔵ヶ原の開拓を志し附近の住民をこの地に集め屋敷を与え租税を免除して新田を開発し竜地宿をつくった。
当時武田家からの朱印状は石柩に長く保存されていたが今は竜泉院にその写しだけが残されている。後世村人は信玄公の偉徳を慕い此の地に武田不動尊を祀り今も4月12日に例祭が行われている。
(看板資料より) 武田社、武田不動尊について
かつての竜地村は、地蔵ヶ原という台地上に集落が散在していたが、武田信玄公によって屋敷割が定められ竜地の宿が形成された。地元の人々はそれを偲び武田社を建立し、信玄公が崇敬する不動尊を祀ってその思いに報いた。武田不動尊は木造寄木造、木造の高さ33cm、台座を含めた総高は61cmで室町末期〜江戸時代初期の作とされている。また鎌倉時代のものとの説もある。武田不動尊は水の神様として昭和初期まで水不足になるとこの不動尊を神輿に納め村内を巡り、最後に神輿を貢川に入れたという。
(看板資料より) 隣の諏訪神社にいたおじさんに話を聞いてみたところ普段は鍵がかかっていて武田不動尊をみることはできないとのことでした。4月12日の信玄公祭りの際にここから出して行くのだそうです。 |