昌禅寺 |
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昌禅寺は長野市上松(湯谷)にある曹洞宗のお寺である。正式の寺号は瑞雲山和合林昌禅寺、「和合のお寺」と通称されている。 |
村上左馬頭が順天山明徳院修善寺を建立したが、兵火のために伽藍が焼失した。その後天倫という者が箱清水に寺号移して再建した。明応2(1493)年に村民は天倫を押してこの寺に住まわせ、、中興の開祖とした。天倫は上野国最興寺開山一列正伊和尚の法弟で、はじめ最興寺に住し、後にこの寺に転じた。そして号を瑞雲山昌禅寺と改めた。間もなく再び兵火のために灰塵に帰したので本村十王堂に来てさらに越後に至り、乱を桑取谷逃れ、ここで頚城郡高住村の洞泉寺を創立した。その後弘治年中(1555〜1558)に4世の僧珠統なる者が本村に帰り所々を漂泊していた際、たまたま武田晴信が信濃国に出兵し、葛山城を襲撃した。あるいは本村の山麓に陣を置いたこともあった。開祖の天倫は小幡憲重の弟で、その一族は当寺武田氏の麾下に属していたので、珠統は行って晴信に会った。そして米や金を送って軍資金の補いにさせた。晴信は彼を愛し、たまたま寺が衰えていたのを惜しんで、和合林(今の寺地)に寺地を与え、先規にならって若干の地をあわせて寄進した。けれども累年の兵乱によって堂宇を修することができず、仮に庵室を設けて地附山の東に居住していた。永禄の末、社会がやや平穏になったので本地に帰り、寺や塔を建てた。 |
満願大菩薩
昌禅寺は大峰城の東側でした。正面から入って行くとなだらかに坂を登って行き、右側には六地蔵がありました。左側から登っていくと最初に左側に建物があって中に何かが入っているのが見えました。入口上には満願大菩薩と書かれていました。中に入ってみると大きなお地蔵様のようなものがあってその表情を見て思わずギョッとしてしまいました。
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