承知川橋の記
この一枚石は長く甲州道中の承知川にかかっていた橋石である。
輝石安山岩、重量約壱拾参屯。
伝説によると永禄4年武田信玄が川中島の戦いの砌(みぎり)、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿の建替と千手堂に三重の塔の建立を約して出陣したと言う。しかし戦に利あらず帰途この橋を通過せんとしたが乗馬は頑として動かず信玄ふと先の約定を思い出され馬上より下りて跪き、「神のお告げ承知仕り候」と申上げ帰国したと言う。爾来承知川と呼びこの一枚石の橋を承知橋と呼ばれるようになったと伝えられている。この一枚石の煉瓦模様は防滑とも又信玄の埋蔵金の隠し図とも言われて来た。
表面がこのように滑らかになったのは人馬など交通が頻繁であったことを物語っている。この度新橋掛替に当ってこの橋石を永久に此処に保存する。
(看板資料より)
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