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長野県下諏訪町

諏訪大社下社秋宮

2014年05月18日

諏訪大社下社秋宮神楽殿

この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。彼は技をすべて父に受け、天稟の才能と異常な努力で立川流の最高を極め幕府から内匠の称号を許されたほどの名匠である。この神楽殿は天保6(1835)年富昌54歳の作で、父の建てた華麗な幣拝殿の前に荘重なものをつくってよく調和させ、幣拝殿をひき立たせているところが賞讃される。
(看板資料より)

日本一の狛犬


根入りの杉

この杉の木は樹齢凡6〜7百年、丑三時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれております。
(看板資料より)


幣拝殿

諏訪大社下社秋宮幣拝殿
この幣拝殿は安永6(1777)年に起工同10年に落成した。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は投じ盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。軒まわりその他に彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木の生地を生かして清楚である。彫刻には独特のおおらかさがあり拝殿内部の竹に鶴などは代表作である。
(看板資料より)

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものです。二重楼門造りと呼ばれ二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し全体に見事な彫刻が施されております。 諏訪高島藩の命により安永10(1781)年に初代(立川流)棟梁立川和四郎富棟によって造営されました。
(看板資料より) 


左右片拝殿

安永10(1781)年、初代立川和四郎富棟により造営された。幣拝殿に比べ彫刻などは見られず江戸時代の記録には幣拝殿は帝屋(御門戸屋)片拝殿は廻廊と記されている。
(看板資料より)


御柱

御柱は寅年と申年の7年目毎に御宝殿の造営と共に建替えられる御神木で社殿の四隅に建立されています。この秋宮一之御柱は長さ17m余、直径1m余の樅(もみ)の樹で霧ヶ峰高原に続く東俣国有林において伐採され、数千人の氏子の奉仕により曳行されました。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成22年(庚寅)年に行われます。
(看板資料より)


さざれ石

平安時代前期に発見されたさざれ石は石灰石が雨水に溶解され粘着力の強い乳状液となり何千年、何万年もの間に小粒な石を凝結して次第に大きな巌となり苔むしてくる石。
(看板資料より) 

 



2004年06月19日

諏訪大社下社秋宮神楽殿
この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。彼は技をすべて父に受け、天稟の才能と異常な努力で立川流の最高を極め幕府から内匠の称号を許されたほどの名匠である。この神楽殿は天保6(1835)年富昌54歳の作で、父の建てた華麗な幣拝殿の前に荘重なものをつくってよく調和させ、幣拝殿をひき立たせているところが賞讃される。
(看板資料より)


根入りの杉

この杉の木は樹齢凡6〜7百年、丑三時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれております。
(看板資料より)


諏訪大社下社秋宮幣拝殿
この幣拝殿は安永6(1777)年に起工同10年に落成した。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は投じ盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。軒まわりその他に彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木の生地を生かして清楚である。彫刻には独特のおおらかさがあり拝殿内部の竹に鶴などは代表作である。
(看板資料より)

幣拝殿
この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものです。二重楼門造りと呼ばれ二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し全体に見事な彫刻が施されております。
諏訪高島藩の命により安永10(1781)年に初代(立川流)棟梁立川和四郎富棟によって造営されました。
(看板資料より)


御柱

御柱は寅年と申年の7年目毎に御宝殿の造営と共に建替えられる御神木で社殿の四隅に建立されています。この秋宮一之御柱は長さ17m余、直径1m余の樅(もみ)の樹で霧ヶ峰高原に続く東俣国有林において伐採され、数千人の氏子の奉仕により曳行されました。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成22年(庚寅)年に行われます。
(看板資料より)


さざれ石

平安時代前期に発見されたさざれ石は石灰石が雨水に溶解され粘着力の強い乳状液となり何千年、何万年もの間に小粒な石を凝結して次第に大きな巌となり苔むしてくる石。
(看板資料より)

 

 
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