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山梨県上野原市

諏訪番所跡

2009年12月29日

一、名称
諏訪番所(甲斐二四関の一)、境川番所・境川口留番所とも呼ぶ。
一、所在地
上野原町諏訪木のはけ20番地
・宝永4(1707)年諏訪神社東より番所坂上に移転
一、土地
番所屋敷 一畝二十八歩 高二斗三升三合
前采場 下々畑二畝 高一斗二升一勺
一、建物
木造平屋建(40.25坪)草葺
一、仕事
・通行取り締りと物資出入り調べ
・高瀬舟取り締りと徴税(二割二分)
・鶴川「渡し場」取り締り
・通行手形改め(男は上り下り不用。女は江戸へ入用、下り不用)
 ※但し小仏関所(駒木野)(江戸へ男、女入用。帰り不用)
・番所坂所在茶店よりの情報聴取
 ※番所役人(番所定番9人、獄舎取締1人)
一、閉止
明治2年 制度閉止となる
明治3年 山内国太郎「捕亡方心得」となり、時局不穏に付き番所従前通りと通告
明治4年 この年番所廃止となる
一、建物のその後
明治4年 役宅は山内国太郎所有となる
明治13年 明治天皇巡幸の折り御小休、お召替え所となる
明治17、18年 渋沢栄一氏の別荘となり飛鳥山へ、その後小泉策太郎氏所有となり、以後不明
一、町内その他番所
・花井口留番所(上野原)
・椿口留番所(棡原)
・藤尾口留番所(西原)
 上野原町教育委員会
(看板資料より)


上野原市のホームページによると「甲斐国の表玄関にあたり、平時は通行人やその荷物、輸送品などの検査や取り締まりが行われ、合戦時には防備の機能をもっていた」とのことでしたので立ち寄りました。ちょうど現代の山梨・神奈川の県境の場所でもあり、急な下り坂の途中に番所跡がありました。

 

 
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