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愛知県新城市

設楽越中守陣地

2006年05月06日

と 
「樋田にて退路をたちし設楽貞通」 
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

設楽貞通は川路城主ですが、川路城はちょうど設楽原古戦場にある城です。長篠・設楽原古戦場の地元の武将ということですね。設楽貞通は酒井忠次率いる鳶ヶ巣山陣地奇襲部隊に参加して広瀬で豊川を渡りましたが、塩沢というところで酒井忠次の奇襲隊本隊と分かれて5百の兵と50挺の鉄砲を持って樋田(といだ)に陣を構えました。彼の任務は酒井忠次が鳶ヶ巣山陣地の奇襲に成功した場合は、南下してくる武田の敗残兵を討つことと、奇襲が失敗した場合は酒井忠次軍の退路を確保することでした。地元の地理に明るい設楽隊ならではの重要任務でした。 その後酒井隊による鳶ヶ巣山陣地奇襲は成功し、設楽隊も十分に活躍することができました。特に夏目久四郎は弓の名手として活躍し、戦後コロミツ坂にて徳川家康から感状を与えられたとのことです。 
(かるたでつづる設楽原古戦場より)

鳶ヶ巣山から豊川に沿って東に向って行くと古戦場から見れば、豊川の対岸、タマゴの自動販売機の前でごみ焼却場の近くのところに、左手前に戻る方向に上る砂利道があるのでそこを登っていくと、最初の曲がり角のところにありました。その先はなかなかUターンできる場所がなく狭い道でした。案内板が立っている場所が崖の上で危険なので注意が必要です。

 

 
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