賤機山城 |
2014年12月21日 |
賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。 |
堀切
賤機山城は静岡市街地の西側外縁の稜線上、同市大岩の臨済寺裏山で、旧駿河国府中の町々がその山麓に広がる。 |
堀切
静岡平野
2010年01月23日 |
賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。 |
賤機山城は静岡市街地の西側外縁の稜線上、同市大岩の臨済寺裏山で、旧駿河国府中の町々がその山麓に広がる。 |
賤機山城は麓に臨済寺があるとのことでまずは浅間神社を目指しました。無料観光案内所があったのでそこで賤機山城について聞いてみたのですが分かりませんでした。その後も色々な人に聞きましたが浅間神社の巫女さんだけが知っていて、八千戈神社の横にある階段を登ってそのままずっと登っていくと最後は山道になるが石碑のようなものがあると教えてくれました。階段を登ると国指定史跡である賤機山古墳があり、15分くらいで山頂に到着。そこには観音様があり多くの人が参拝していました。山頂からの眺めは見事で遠く駿河灘まで一望できました。ほとんどの人はそこから引き返していましたが、城跡は更にそこから15分くらい歩いてやっと到着しました。途中大きな堀切があって足場が悪かったです。思いがけずハードな山登りとなってしまいました。城跡には石碑と説明が書かれた看板があって周辺は土塁で囲まれたような地形でした。
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