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愛知県新城市

新昌寺

2014年08月15日

由緒
・山号には別に「鳥居山」もある。本尊は釈迦牟尼仏。
・創建は天文8(1539)年長篠医王寺4世月傳太隋大和尚による。創建当時は「喜船庵」と称された。
・天正3(1575)年の長篠合戦では、「喜船庵」のある有海の地は戦場となり、特に篠場野の地には奥平家忠義の臣・鳥居強右衛門勝商の磔死跡があり碑が立っている。合戦後、強右衛門は「喜船庵」に埋葬された。
・「喜船庵」は萬治3(1660)年新昌寺に改められ、寛政3(1791)年には興国新昌寺に改められた。新昌寺には医王寺14世仙翁覚大和尚を勧請開山とし、開基には有海の領主旗本松平加賀右衛門として現在に至っている。現在は19世である。
・合戦後鳥居強右衛門の墓であるが、慶長8(1608)年強右衛門の子信商によって作手鴨ヶ谷甘泉寺に移転された。その後百六十年間廃墟となっていたが、宝暦13(1763)年に有志の手によって再建された。碑面には「天正三乙亥年 智海常通居士 5月16日 俗名鳥居強右衛門勝商 行年36歳」とあり、碑面左には「わが君の命に替る玉の緒を などいとひけん 武士の道」とあり、これは辞世の句とされる。明治36(1903)年境内には鳥居閣が、大正9(1920)年には墓が拡張され、現在の形に整えられた。現在毎年4月に「鳥居祭」が行われている。
(看板資料より)

 



2012年05月04日

由緒
・山号には別に「鳥居山」もある。本尊は釈迦牟尼仏。
・創建は天文8(1539)年長篠医王寺4世月傳太隋大和尚による。創建当時は「喜船庵」と称された。
・天正3(1575)年の長篠合戦では、「喜船庵」のある有海の地は戦場となり、特に篠場野の地には奥平家忠義の臣・鳥居強右衛門勝商の磔死跡があり碑が立っている。合戦後、強右衛門は「喜船庵」に埋葬された。
・「喜船庵」は萬治3(1660)年新昌寺に改められ、寛政3(1791)年には興国新昌寺に改められた。新昌寺には医王寺14世仙翁覚大和尚を勧請開山とし、開基には有海の領主旗本松平加賀右衛門として現在に至っている。現在は19世である。
・合戦後鳥居強右衛門の墓であるが、慶長8(1608)年強右衛門の子信商によって作手鴨ヶ谷甘泉寺に移転された。その後百六十年間廃墟となっていたが、宝暦13(1763)年に有志の手によって再建された。碑面には「天正三乙亥年 智海常通居士 5月16日 俗名鳥居強右衛門勝商 行年36歳」とあり、碑面左には「わが君の命に替る玉の緒を などいとひけん 武士の道」とあり、これは辞世の句とされる。明治36(1903)年境内には鳥居閣が、大正9(1920)年には墓が拡張され、現在の形に整えられた。現在毎年4月に「鳥居祭」が行われている。
(看板資料より)

 

 
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