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山梨県笛吹市

泉龍寺

2014年07月12日

油川山泉龍寺
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
開創 永正11甲戌(1514)年
開基 油川入道加賀守信友
   戒名 泉龍寺殿新應長壽大居士
開山 顧山恵鑑大和尚(三星院第7世)

油川の由来
中世は油川庄といい武田氏の支配下にあり、武田信昌の男油川彦八郎信恵が館を構えた。1508(永正5)年、信恵が棒(坊)ヶ峰で討ち死にした後、1514(永正11)年、信恵の男油川入道信友は父の菩提を弔うため、館跡に油川山泉龍寺を建立した。
油川の地は近世も「寛永村高帳」までは1村であるが、その後笛吹川(現平等川)の流路変更によって東西に分断され、「元禄郷帳」では東油川村、西油川村の2村となっている。現在、東油川が石和町(現冨士見村)に、西油川が甲府市(旧山城村)に属している。
(石碑記載文章より)

 



2007年04月15日

油川山泉龍寺
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
開創 永正11甲戌(1514)年
開基 油川入道加賀守信友
   戒名 泉龍寺殿新應長壽大居士
開山 顧山恵鑑大和尚(三星院第7世)

油川の由来
中世は油川庄といい武田氏の支配下にあり、武田信昌の男油川彦八郎信恵が館を構えた。1508(永正5)年、信恵が棒(坊)ヶ峰で討ち死にした後、1514(永正11)年、信恵の男油川入道信友は父の菩提を弔うため、館跡に油川山泉龍寺を建立した。
油川の地は近世も「寛永村高帳」までは1村であるが、その後笛吹川(現平等川)の流路変更によって東西に分断され、「元禄郷帳」では東油川村、西油川村の2村となっている。現在、東油川が石和町(現冨士見村)に、西油川が甲府市(旧山城村)に属している。
(石碑記載文章より)

以前、掲示板にて油川家の子孫殿に教えてもらったのが泉龍寺でした。泉龍寺は油川氏の館跡とのことで、油川信恵死去後、息子である油川信友が父を弔うために館跡に建てたお寺であるとのことでした。泉龍寺の近くのお宅を訪問してお話を聞いたところ、既に住職は亡くなっていて今では別のお寺に運営を委託しているとのことでした。石碑に書いてある内容について聞いてみましたが詳しいことはよく分からないとのことでした。その後、先ほどお話を聞かせてくれた方が外に出てきてくれて再びお話を聞かせてもらいました。本堂の裏側に小高い塚のようなところがあって祠がありますがその付近が館の建物があった所なのではないかとのことでした。


坊ヶ峯(勝負ヶ池)

 

 
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