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    長野県飯島町

千人塚

2008年11月02日

千人塚については行く前に調べた限りでは史跡というより千人塚公園として観光地になっているようで、千人塚という塚などはもう存在しないかもしれないと思いながら現地に向かったのでした。城ヶ池と呼ばれる池の畔に車を止めるとちょうどご婦人がいたので千人塚という塚がないかどうか聞いてみました。するとちょうと池に突き出た半島のようなところ全体が塚と呼ばれていると教えてくれました。
教えてもらった場所に行ってみるとちゃんと千人塚の説明資料と、塚そのものを確認することができました。それによるとそもそもここにはお城があってその周りの堀の部分が今の城ヶ池になっているとのことでした。
彼女の話ではここはマレットゴルフの発祥地といわれていて昔は賑やかだったが今ではすっかり寂れてしまったとのことでした。確かに3連休でしかもいい天気でしたがあまり人は見かけませんでした。


千人塚

千人塚の由来
今からおよそ八百年程前、船山城主の臣である上沼氏がここに城を構え北村城(北山城)といった。この下の水田地帯に城下町の町張、店町等の地名が残っている。
戦国時代、天正10年2月織田信忠の伊那路攻略の際、上沼左近の守ったこの城は落ち、敵味方の遺骸武具一切を埋めて塚としたと伝えられている。その後時々悪疫が流行したため、霊の祟りを恐れ、天保15年甲辰6月千九人童子の碑を建て、以来毎年春秋2回供養を続けてきたものである。城ヶ池はもと城の空掘で昭和9年国の灌漑事業の一環として土手を築き水を湛えたもので現在は水面約3.3ヘクタール、水深は深い所で10メートルに近い。
(看板資料より)

城ヶ池

 

 
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