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山梨県北杜市

清泰寺

2013年10月13日

当山は、霊長山清泰寺と称し曹洞宗に属し山梨県北巨摩郡白州町花水に位置している。
平安時代末、大治2(1127)年甲斐源氏の始祖新羅三郎義光の子、逸見冠者刑部三郎義清が開基となってこの地に天台宗の寺院を創立したのが始まりである。その後二百数十年間は法燈すこぶる盛んであったが応永年間(1390年代)に火災にあい寺門悉く焼失し衰退してしまったのであるが、室町時代末期文明6(1474)年雲鷹玄俊和尚により曹洞宗として再興され、爾来、五百数十年間に末寺十余ヶ寺を数え現在に法燈を伝えている。
天文11(1542)年武田信玄公により、諏訪頼義公へ女子化粧料としてこれを當山取継寺三光寺に附せられるにともない現在山梨側の檀家だけとなっている。その後武田氏より保護を受けるが、武田氏滅亡後は慶長8年3月徳川家より544坪の黒印地を賜り、その保護を受け現在に至る。
境内には中興開基であるこの地の豪族、曲渕庄左衛門吉景 法号広略院殿良屋玄張大居士 文禄3(1594)年11月23日没、その子曲渕吉清 法号 風仙宗徹大居士 元和5(1619)年9月1日没 その子曲渕吉重 法号 嘉嶽宗英大居士 寛文8(1668)年12月14日没、と曲渕氏三代が、清泰寺西方の墓地に葬られ、苔むした杉の大木の下に永く安らかな眠りについている。
(パンフレット資料より)


清泰寺のカヤ

カヤは、関東以西にわたって広く自然分布するものであるが、神社や寺院などの境内に植栽されている場合が多い。
清泰寺は、後小松天皇の応永年間になって雲鷹玄俊和尚によって、曹洞宗として再興したという。このカヤは同和尚が開山記念に植えたものだといわれる。
樹齢は600年と推定される。


本堂

曲渕氏墓所

馬頭観世音

 
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