曲淵氏屋敷跡 |
2013年10月13日 |
甲斐国志に「曲淵氏ノ古跡片颪ニアリ、竪百間、横六十間許リ、東ヲ端門トス。西南ハ釜無川ノ険ニ臨ミ北ニ小深沢ト云フ河アリ、コレ会スル所彎曲シテ深潭トナル、曲淵ノ名此ニ出ズト云フ」とある。清泰寺の南、小深沢川が釜無川に合流する左岸、花水部落の西村と称する辺が屋敷のあったところと思われる。屋敷跡北隅の若宮八幡宮は曲渕氏の屋敷神といわれている。
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2008年01月03日 |
甲斐国志に「曲淵氏ノ古跡片颪ニアリ、竪百間、横六十間許リ、東ヲ端門トス。西南ハ釜無川ノ険ニ臨ミ北ニ小深沢ト云フ河アリ、コレ会スル所彎曲シテ深潭トナル、曲淵ノ名此ニ出ズト云フ」とある。清泰寺の南、小深沢川が釜無川に合流する左岸、花水部落の西村と称する辺が屋敷のあったところと思われる。屋敷跡北隅の若宮八幡宮は曲渕氏の屋敷神といわれている。 |
朝一番で寄ったのですがまだ太陽が昇ってきていなかったので後回しにして先に中山砦に行きました。その後立ち寄りましたが今度は逆にちょうど逆光になってしまい写真を撮るのに苦労しました。ちょうど清泰寺の前でしたが、以前清泰寺に来た時にはまったく気がつきませんでした。曲渕氏屋敷跡の碑の奥には神社のようなものがありました。
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