下道
通称親知らず子知らずの道で海岸の波打ち際を道路として利用していた。安政元(1854)年の地震で海岸が隆起しそれ以降再び道路として利用されるようになった。
中道
慶長6(1601)年家康伝馬制度を設ける。慶長9(1604)年53次宿駅制度を設ける。承応3(1654)年峠道を開く。慶長年間から明暦年間まで主として利用されていた。
上道
参勤交代で諸大名も通った道である。明暦元(1655)年9月江戸幕府は朝鮮使節の一行を迎えるにあたり開いた道で幕末まで利用されていた。
脇道
通称じぞうみちといい、上古から通行に利用されている。
(看板資料より)
|