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山梨県北杜市

三分一湧水

2013年10月13日

三分一湧水は古くから下流集落の生命の源泉であり、住民これにより田畑を耕し、くらしを立ててきました。三方向に等量に分水する独特の手法は、争いを避けるための先達の知恵であり、学術的にも高く評価されています。そのような歴史の中で、26代を数える旧小荒間村の坂本家は、累代「水元」と敬称され、湧水の維持はもとより、村落間の和平を維持するために心を砕かれてきました。今も毎年6月1日に、同家を首主座に関係集落立ち合いのもと分水行事が行われるのはその故です。平成14年7月甲府市にお住まいの坂本家当主静子様には待ちの懇望に応え、三分一湧水周辺一帯の所有地をお譲り下さることになりました。ここに本湧水と水元坂本家の由来の一端を記し深く感謝の意を表します。
(石碑記載文章より)

三分一湧水(さんぶいちゆうすい)
名前の由来は、その昔、湧水の利用をめぐり長年続いた水争いを治めるため、三方の村々に三分の一づつ平等に分配できるよう工夫したことからきています。湧水は、利水権を持つ地区住民で組織する管理組合や地元住民によって管理され、農業用水として重要な役割を果たしています。湧水量は1日8,500トン、水温は年間を通して摂氏10度前後を保っています。
三分一湧水は女取湧水とともに八ヶ岳南麓高原湧水群として日本名水百選に数えられています。八ヶ岳の峯々に降り積もった雪は伏流水となり、長い年月をかけ麓に清らかな泉となって湧き出します。八ヶ岳南麓にはこのような湧き水がいくつか知られています。
(看板資料より)

 



2008年04月05日

三分一湧水は古くから下流集落の生命の源泉であり、住民これにより田畑を耕し、くらしを立ててきました。三方向に等量に分水する独特の手法は、争いを避けるための先達の知恵であり、学術的にも高く評価されています。そのような歴史の中で、26代を数える旧小荒間村の坂本家は、累代「水元」と敬称され、湧水の維持はもとより、村落間の和平を維持するために心を砕かれてきました。今も毎年6月1日に、同家を首主座に関係集落立ち合いのもと分水行事が行われるのはその故です。平成14年7月甲府市にお住まいの坂本家当主静子様には待ちの懇望に応え、三分一湧水周辺一帯の所有地をお譲り下さることになりました。ここに本湧水と水元坂本家の由来の一端を記し深く感謝の意を表します。
(石碑記載文章より)

ここには以前来たことがあります。水の利権争いを避けるために三方に平等に水を分けるような装置を武田信玄が考案したという話も伝わっているそうですが、今回現地を訪れて周辺を歩きまわってみましたがそのようなことが書かれた案内等は見つけることはできませんでした。道路沿いには風林火山の旗が立ち並んでいました。三分一湧水の奥に石碑があったので近くまで行って読んでみましたがそこにも武田信玄との関係などについては書かれていませんでした。まだ朝早い時間帯だったので近くにあった三分一湧水館もオープンしていませんでした。上着を着ないとまだまだ寒かったです。

 



2003年08月30日

 

三分一湧水(さんぶいちゆうすい)
名前の由来は、その昔、湧水の利用をめぐり長年続いた水争いを治めるため、三方の村々に三分の一づつ平等に分配できるよう工夫したことからきています。湧水は、利水権を持つ地区住民で組織する管理組合や地元住民によって管理され、農業用水として重要な役割を果たしています。湧水量は1日8,500トン、水温は年間を通して摂氏10度前後を保っています。
三分一湧水は女取湧水とともに八ヶ岳南麓高原湧水群として日本名水百選に数えられています。八ヶ岳の峯々に降り積もった雪は伏流水となり、長い年月をかけ麓に清らかな泉となって湧き出します。八ヶ岳南麓にはこのような湧き水がいくつか知られています。
(看板資料より)

 

 
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