龍雲寺 |
2014年05月02日 |
曹洞宗大田山龍雲寺 |
本堂
信玄公霊廟
信玄公の遺骨出土の地
長野県史跡 北高禅師墓碑
北高禅師は羽前(山形県)の人で、北畠顕家の後裔といわれる。12歳で父を失い、薙髪して諱を全祝、後に北高と号した。武田信玄は佐久郡の攻略を完了した永禄年中、先の兵火で荒廃した竜雲寺の再興をはかり、北高禅師を講じて中興開山とした、信玄は禅師に帰依すること篤く、元亀3(1572)年、竜雲寺を信濃曹洞宗僧録に任じ、同年4月甲州、信州、上州3ヶ国の僧を集めて千人江湖会(千人法幢)を行わせ、信濃領内曹洞宗会下のため法度を定めたりもした。
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2006年12月03日 |
曹洞宗大田山龍雲寺 |
前日の夜に自宅を出発して上信越自動車道の甘楽パーキングエリアで車中泊して翌朝一番にこの龍雲寺を訪れました。まだ8時前だったので少し薄暗く、人を見かけることもなく静寂で、気温も低く何やら神妙な雰囲気を感じました。特に寺の入口の門の小さな電球の明かりが印象的で、歴史を感じさせられました。このお寺で昭和の初め頃に武田信玄の遺骨が発見され、今でもその遺骨が安置されているとのことでしたのでそれにまつわる史跡を見るのが目的でした。 |
信玄井
元亀3年千人法幢ノ際使用サレタル井
信玄公の遺骨出土の地
信玄公の遺骨が安置されている霊廟
大井公御茶湯免井
長野県史跡 北高禅師墓碑
北高禅師は羽前(山形県)の人で、北畠顕家の後裔といわれる。12歳で父を失い、薙髪して諱を全祝、後に北高と号した。武田信玄は佐久郡の攻略を完了した永禄年中、先の兵火で荒廃した竜雲寺の再興をはかり、北高禅師を講じて中興開山とした、信玄は禅師に帰依すること篤く、元亀3(1572)年、竜雲寺を信濃曹洞宗僧録に任じ、同年4月甲州、信州、上州3ヶ国の僧を集めて千人江湖会(千人法幢)を行わせ、信濃領内曹洞宗会下のため法度を定めたりもした。 |
→長岳寺
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