信玄のお茶清水
このお茶清水は、江戸時代には信玄のお茶の水とも呼ばれ、信玄が建設したといわれる軍用道路のいわゆる「中の棒道」沿いにあって、信玄が北信濃攻略の途次、お茶を飲んだといわれる泉である。
この付近には、信玄が渋の湯を運んできて入浴したといわれる「湯殿の坂」とか、国(甲斐)へ帰るのはこの道である、といったいわれる「国の道」などの地名が残っており、信玄ゆかりの地である。
またこの地は古代より、大門峠、雨境峠、大河原峠など、佐久、小県方面に通ずる交通上の重要な場所であり、戦国時代になってからは、目前に原の城、枡形城、塩沢城(朝倉山城)をひかえさらに、八子ヶ峰の狼煙台や馬がくしなどを遠望できる、戦略上の要衝でもあった。
(看板資料より) |