飯富兵部少輔虎昌屋敷跡 |
2007年10月28日 |
武田家の譜代家老で、山県昌景の実兄。永正12(1515)年ごろ、家督を相続したが、享禄4(1531)年に信虎と対立し、御岳に今井・栗原氏らと立て籠もったこともある。まもなく武田氏に帰服し、信虎追放後は信玄を支えた。信虎・信玄2代の重要な作戦のほとんどに参加し、活躍した。天文20(1551)年には、信濃国内山城(佐久市)の在番を、同22(1553)年には塩田城主に。さらに室賀城の在番を歴任し、村上義清や上杉謙信の侵攻に備えた。永禄5年ごろから、信玄の嫡男義信の傅役となった。信玄と義信が対立すると、虎昌は立場上、義信を擁護せざるをえず、信玄暗殺に参画したが発覚したため、責任を一身に背負って刑場の露と消えた。 |
飯富兵部少輔虎昌
(?〜永禄8年10月15日) |