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愛知県新城市

小幡上総介信貞の墓

2013年07月06日

金子藷山の『藷山随筆』に、墓は「新間東弾正山中に古塚あり是なり」とある。小幡信貞は上野国甘楽郡国峰城主憲重の子6人兄弟の長男であり、連吾川や馬防柵前で奮戦討死した。設楽原をまもる会は、平成9年3月『藷山随筆』の記録をもとに、連吾川や馬防柵を見える地に建墓した。
(東三河の史跡めぐりより)

一方、以下の通り、小幡信貞は長篠・設楽原の戦いでは死んでいないという説もあります。
小幡信貞は長篠・設楽原の戦いで戦死していないという説もある。『寛政重修諸家譜』の「小幡昌定(信貞の弟)三河で討死」が、これにあたるとも考えられる。
(徹底検証長篠・設楽原の戦い(吉川弘文館)より)

新城市設楽原歴史資料館に向かう途中、東弾正山の中腹に墓があったので寄ってみたら小幡信貞の墓がありました。
設楽原には何度も訪れているのですが、なんで今まで見つけられなかったのか不思議です。そのまま道路を登っていったら信玄塚に出ました。

 

 
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