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山梨県身延町

中山金山

2005年07月03日

中山金山登山口(広河原)

毛無山の山腹には甲斐の武将武田信玄公の採掘した金坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。湯の奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑があり、その中で最も大掛かりに採掘されたのがこの中山金山である。金山の最盛時を偲ばせるものの中には、中山千軒と呼ぶ土地言葉も伝わって、鉱夫等の守護神であった金山神社が7社祀られていた。更に大名屋敷、女郎屋敷、七人塚(墓地)等の地名も今に伝わり往時を偲ばせている。
長期に亘り採掘した現場厳しい懸崖の地にあり坑道跡も僅か10ヶ所前後のものとなっている。昭和40年代に集落跡から多彩な出土品もあり、その主なものには安土桃山時代の作品と伝われる天目茶碗等の出土品もあった。
又、毛無山山頂に登ると霊峰冨士が眼前に展け遠くは駿河湾、甲府盆地など一望に望みその風光はすばらしい。郷土の尊い文化遺跡につき荒らさないでください。
(看板資料より)

毛無山:山梨の百名山
パノラマ台まで2,800m、山頂まで4,670m、国史跡である湯之奥金山(中山金山)まで2,300m
(看板資料より)


09:26 登山開始
最初登りがありましたがその後平坦な道が続きました。しかしその後はずっと登りとなり、きつい登山でした。
09:47 頂上まで3,600m右側に広場のようなところがありました。足を痛めないようにゆっくりと登りました。それでも汗はたくさん出てきてしまいタオルをもってくれば良かったです。


山の神

10:06 山の神に到着。頂上まで2,940m

中山金山女郎屋敷跡

10:23 女郎屋敷跡に到着。頂上まで2,440m

中山金山 大名屋敷跡

10:27 大名屋敷跡到着。

水飲み場


10:40 第二地蔵峠に到着。残念ながら富士山の全容を確認することはできませんでしたがしばらく待っていると富士山山頂が少し姿を現しました。また今まで携帯電話はずっと圏外だったのですが、峠に来たら使用できるようになったので、身延町役場の電話番号を調べて役場に電話して中山金山のことを聞いてみましたが残念ながらこの日の日直の方は余り詳しい人ではなかったようで何も分かりませんでした。そういえば以前訪問した湯之奥金山博物館で中山金山のことを聞いたことがあったことを思い出し、電話をしてみたら、女郎屋敷の看板の少し先を左に入ったところが精錬所であると教えてくれたので早速そこへ行ってみることにしました。
10:58 第二地蔵峠出発


精錬所

毛無山頂上まで2,440mの看板を左に入っていくと、上の写真のようなテラス状の場所がありました。金山の坑道のようなものを見つけることはできませんでしたが、奥には川が流れており、中央部には下の写真のような石で組まれた井戸のようなものがありましたが下部には穴があいていました。帰路湯之奥金山博物館で聞いたところによればこれは炭焼き釜とのことでした。

炭焼き釜

11:23 女郎屋敷跡出発
12:05 麓(広河原)に到着

 

 
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