中道往還 |
2016年11月28日 |
中道往還は、古代から開かれていたといわれ、甲斐と駿河を結ぶ三つの街道のうち若彦路、富士川街道の間を通る道であることから「中道」と呼ばれるようになったと『甲斐国志』に書かれている。
|
2004年10月23日 |
中道往還は、古代から開かれたといわれ、甲斐の国と駿河の国を結ぶ最短距離の街道です。甲斐国誌に「駿州の通路三条ある中間なる故に呼べり」と紹介されている。 |
国道139号線を河口湖方面から本栖湖方面に向って進み、精進湖の入口を過ぎて少し行ったところの脇道のところに看板を見つけることができますがその看板が中道往還の看板です。本当は人文社の山梨県広域道路地図には信玄礎石と書かれていたのでそれを探しに来たのですが見つけることができず、その代わりに見つけたのがこの中道往還の看板でした。地図によれば付近には城山という名の山もあるので昔は砦などの拠点だったのかもしれません。看板を奥に進んでいくと昔の道の跡が残されておりなかなかいい雰囲気でした。時間がなかったので詳しく探索することができませんでしたが今後また訪れてみたいと思います。
|