妙善寺 |
2006年03月12日 |
甲斐市の妙善寺というところに、阿部勝宝の墓があるという情報を入手したので寄ってみました。現地では安倍加賀守の墓として説明されていました。境内を探したのですが見つけることができず、お寺の方に場所を教えてもらいました。上の写真の門をくぐって下の本堂にでてから左奥方向に進んで行くと庭園?がありその一番上にあるのが安倍加賀守の墓とのことでした。右側から登っていくように勧められたのでそのとおりに登りました。この一帯が妙善寺庭園なのかなと思ったのですが写真を撮るのを忘れてしまいました。 |
妙善寺庭園・本堂厨子 |
安倍加賀守の墓
安倍加賀守勝宝(又は定村)は武田家の重臣使番十二人衆の一人で弓矢の功者であったと言われ天正十年壬午(1582)3月3日新府落城のおり、主君勝頼公と共に天目山に落ち延び鳥居畑の戦いに於て織田信長麾下の大軍と戦い3月11日田野に殉死す。家臣雨宮新介ひそかに首級を携え当地に葬る。時に53歳であった。法名は妙善寺殿香山道義大禅定門と言い、三基の宝篋印塔の中央が勝宝、二基は信州高遠城に於て城主仁科五郎盛信と共に殉死した二子の墓で左が長男掃部介貞直、右が次男右衛門尉道忠と伝えられる。
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