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山梨県南部町

妙浄寺

2010年03月22日

妙浄寺は、大日山妙楽時と称し、元は真言宗であったが、日蓮上人が身延へ入山する際即ち文永11(1274)5月16日この寺に一泊し、住持大輪法印は日蓮に帰依して改宗し日寿と改名したと云う。このため甲州弘教の最初の霊場として古来、身延山法主入山の時は立ち寄るを例とした。
この寺は、南部氏がこの地を領していた時代の菩提寺であり寺紋に「向鶴の紋」を使用している。
境内に「花釣瓶の井」という小さな井戸がある。いい伝えによると、日蓮はこの井戸水で身を清め、師匠道善上人の命日だったので読経をしていたところへ、村人で瘧(オコリ)を患っている者が草花を持って来て、加持をしていただきたいという。日蓮はその花を井戸の釣瓶に挿して祈ったところ病は忽ち直ったので、花釣瓶の井といわれるようになった。
本堂の南西のイチョウは町指定の文化財で、根元から東西二幹に分かれている。総根回りは8.4メートルで、東幹は目通り幹囲5.4メートル、西幹は目通り幹囲3.5メートルであり、落雷による痛手は受けているが、樹勢は旺盛である。
本堂の裏手には、八幡屋敷といわれるところがある。ここには昔八幡社があり、南部家二代実光公により承久2(1220)年奥州三戸に御神体を移し、現在は八戸市の櫛引八幡社となっているといわれる。
(看板資料より)

この寺はもと真言宗で妙薬寺と称し、新羅三郎義光が創立した。
(山梨県の武田氏伝説)

 

 
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