天神城、鎌田城とも呼ばれ沼田城団の一つとして作られたといわれる。後に真田、北条氏によって前衛の砦として利用された。天正10(1582)年北条氏に攻められ、加藤丹波守が奮戦した模様は沼田元祖記に詳しい。
(看板資料より)
沼田城の南2.5kmの片品川崖端にあり、大部分崩落してわずかに跡をとどめる。現在の堀の外に、更に掘一重があったかもしれない。天正8(1580)年8月、真田昌幸が厩橋と連絡の兵を進めた際、城主森下三河守は昌幸に従って渡河を援護した。
天正10年10月、北条氏邦は沼田攻撃のため猪俣・須田の両将に森下城を攻略させ、三河守は奮戦の末、反町大膳亮幸定に討たれた。その後、この城も北条勢による沼田攻撃の拠点となった。
(日本城郭大系より)
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