←前のページ トップページ↑ 次のページ→

京都府京田辺市

草内の渡し場跡の碑


2005年08月04日

本能寺の変の際、徳川家康とともに堺にいた穴山梅雪は三河岡崎に戻る途中、木津川草内の渡し付近で一揆のために命を落としたといわれている。穴山梅雪が家康を疑っていたためであるとか、持病の痔が悪化したためであるなどの説があるらしいが、いずれにせよ徳川家康がたどったルートを1日遅れで穴山梅雪もたどり、運悪く命を落としている。詳細は、飯岡共同墓地の案内板に書かれている文章を参照していただきたい。
草内の渡し場跡の碑は、木津川西岸にあるホームセンター横から、川岸に沿って走るサイクリングロード?に出るところの少し広くなっているところからすぐ南側にあり、すぐに見つけることができました。すぐ下は河岸段丘を利用した運動場になっていて、山城大橋を望むことができます。


飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
満福寺

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→