久野城 |
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久野城の築城時期は、駿河に本拠を持っていた今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、明応年間(1492〜1501)頃に造ったと考えられている。 |
本丸
隅櫓跡
隅櫓とは、城に攻めてくる敵兵の見張りや鉄砲、矢などを射掛けるための城特有の高床の建物です。久野城で発見された隅櫓は、柱を直接土中に埋める建物で、今から約四百年前の松下氏が城主の頃に建てられたと考えられます。 |
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本城は、当地域の在地領主である久野宗隆が築城したものであるがその年代は明応年中(1492〜1500)とも永正年中(1504〜1520)ともいわれている。宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てたが、孫の宗能は永禄11年に徳川家康の傘下に入り城主となって、掛川城、高天神城攻撃、小牧長久手の戦いなどに戦功を立てている。 |