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静岡県袋井市

久野

 
2013年12月30日

久野城の築城時期は、駿河に本拠を持っていた今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、明応年間(1492〜1501)頃に造ったと考えられている。
歴代城主は、久野宗隆-元宗-宗能、松下之綱-重綱、久野宗能-宗成、北条氏重で、正保元(1644)年に廃城となった。
現在、城内には「土塁」・「掘切」・「竪堀」・「井戸」などが比較的良く残っている。また、小字名の「西堀」・「南堀」等が示すように、城の周囲に水堀を備えていたようである。
昭和54年10月1日に、市指定文化財に指定されるとともに、近年の発掘調査によって屋根瓦や陶磁器などが発見され、徐々にその姿を現し始めている。
(看板資料より)

本丸


隅櫓跡

隅櫓とは、城に攻めてくる敵兵の見張りや鉄砲、矢などを射掛けるための城特有の高床の建物です。久野城で発見された隅櫓は、柱を直接土中に埋める建物で、今から約四百年前の松下氏が城主の頃に建てられたと考えられます。
江戸時代の櫓は、掛川城太鼓櫓のように礎石の建物に変化します。
(看板資料より)


 
2001年10月07日

本城は、当地域の在地領主である久野宗隆が築城したものであるがその年代は明応年中(1492〜1500)とも永正年中(1504〜1520)ともいわれている。宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てたが、孫の宗能は永禄11年に徳川家康の傘下に入り城主となって、掛川城、高天神城攻撃、小牧長久手の戦いなどに戦功を立てている。
天正18年家康の関東転封に伴い宗能は下総に移封され、代わって松下之綱が丹波より入りて城主となる。その後松下重綱・久野宗能(再任)、久野宗成、北条氏重にいたるまで、8代およそ150年間の居城であったが、正保元年廃城となる。四方に堀をめぐらし、「当国第一の要害にしてたとい何万騎を差し向けても落つべくも見えず」といわれた。今でも当時の井戸、空掘、土塁跡を残している。
(看板資料より)

 
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