窪八幡神社 |
2013年09月21日 |
窪八幡神社鳥居(重要文化財)
鳥居は、神社境内から東方に離れた参道にあって、神門を望む位置に建てられています。建立年代は「王代記」の記載から天文9(1540)年と考えられています。木造鳥居としては現存する日本最古のものです。 窪八幡神社鳥居 |
窪八幡神社神門附石橋(重要文化財)
神門は、境内の正面入口に東面して建ち、総門とも呼ばれます。神社本記によると、永正8(1511)年、「王代記」によると天文11(1542)年の建立とされ、その後明和6(1769)年に修理されていることが箱棟の墨書によって明らかになっています。 窪八幡神社 |
窪八幡神社拝殿附鰐口(重要文化財)
本殿に対応して間口11間の長大な外観で建っています。神社本記には天文22(1553)年に武田晴信(信玄)によって、信州村上義清を攻略の際に祈願成就のため造替が行われたと記され、小屋束からは「弘治3(1557)年」の墨書が発見されています。 |
窪八幡神社本殿附旧壁板(重要文化財)
中殿に誉田別尊(応神天皇)、北殿に足仲彦尊(仲哀天皇)、南殿に気長足姫尊(神功皇后)がまつられています。昭和26(1951)年の解体修理で永正16(1519)年の墨書が発見され、この頃に建立されたことが明らかとなりました。形式は十一間社流造・檜皮葺で三間社流造の三社が1間をおき、それぞれ横に連結して11間の形となる、我が国に現存する最大の流造本殿です。神社本記には弘治3(1557)年に武田晴信(信玄)が信州出陣の際配下に命じて金箔を再興させたと記されています。各社正面の6面の板壁には壁画が描かれ、正面の大部分に金箔装飾が施されています。 |
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿(重要文化財)
建立年代は、神社本記と窪八幡別当上之坊で書き継がれた年代記『王代記』とがともに天文5(1536)年建立としています。 |
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿(重要文化財)
祭神大鷦鷯尊(仁徳天皇)は本社祭神と縁故が深い神なので摂社といわれています。建立年代は神社本記によると応永7(1400)年と記されていますが、建築様式から15世紀後期とみられています。 |
窪八幡神社末社高良神社本殿(重要文化財)
本社拝殿の南側に建ち、高良明神をまつっています。神社本記には明応9(1500)年再建と記されています。一間社隅木入春日造、檜皮葺。室町時代後期の手法をよく示しています。 |
窪八幡神社末社武内大神本殿(重要文化財)
本殿の南側に並んで建ち、武内宿祢をまつっています。高良神社本殿と同じく明応9(1500)年に再建されたとされています。質素な素木造で9段の木階を付け、回縁には刎高欄をめぐらせています。この社殿の絵様彫刻は優美な曲線を示し、木割は雄大でよく整い小規模の本殿建築の代表作と言われています。 |
窪八幡神社如法経塔(県指定有形文化財)
如法経塔とは、「写経に羽毛を用いず草を筆とし石を墨として一字ごとに礼拝書社するいわゆる如法業によった経文を埋納して建てた塔」のことです。 |
窪八幡神社鐘楼(県指定有形文化財)
本社拝殿の北東に位置し、「王代記」及び棟札の写しによって天文22年に武田晴信を大檀那として建立されたことが判明しています。神仏習合の姿を残す貴重な建物です。 窪八幡神社鐘楼 |
窪八幡神社末社比梼O神本殿(重要文化財)
本社本殿等が配された区域から一段下がった境内前部の池の中島に建ち、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の三神をまつっています。明治時代初期まで「弁財天」と呼ばれ、現在の社殿はは寛永2(1625)年徳川忠長が再建したと伝えられています。一間社流造、銅板葺(もとは檜皮葺)。白・朱・黒と各部を塗り分け、金箔を施した総漆塗りで、極めて華麗な本殿であり、江戸時代初期の様式をよく示しています。
|
木造狛犬(県指定有形文化財) 紙本墨画淡彩 窪八幡神社境内古絵図(県指定有形文化財) ブッポウソウ等繁殖地窪八幡神社(市指定有形文化財) 板絵著色三十六歌仙図(市指定有形文化財)
|
2003年08月30日 |
窪八幡神社本殿 |
鐘楼
建立年代は不祥であるが、神社に現存する天文22(1553)年頃の「境内古図」に現在の位置に記されており、それ以前の建造であることを明らかにしている。形式・技法から見て、明応9(1501)年再建の武内社と高良社に類似していることから同年代の建造と推定される。 |
窪八幡神社如法経塔
如法経とは、「写経に羽毛を用いず草を筆とし石を墨として一字ごとに礼拝書写するいわゆる如法行によった経文を埋納して建てた塔」のことである。
|