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山梨県笛吹市

小山城

2005年08月27日

小山城は浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された面積12.046平方メートルの規模を有する武田時代の城である。城の南辺の土塁は一部削平されているが、他は良く遺されている。土塁は底辺が約15メートル、高さ3〜5メートルの規模を有する。土塁北隅の平坦部(東屋がある)は櫓台と考えられ、礎石が現存している。虎口が東にあり、幅約10メートルで脇に石組が遺存している。堀は、北辺は天川の急崖となり、東辺で約8メートル、西南辺で約15メートルの幅である。また、土塁北10メートルのところに物見塚といわれる通称「ごんばち塚」がある。
宝徳2(1450)年穴山伊豆守が居住しており、小石和の武田信重館を攻めている。永正の頃(1504年)穴山伊予守信永が住し、大永3(1523)年3月に鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下野守と花鳥山で戦ったあと小山城で防戦したが、利あらずニノ宮常楽寺へ落ちた。
城は南部氏に守られていたが、天文17(1548)年武田晴信の為罪を得て城を捨て廃城となった。
天正10(1582)年甲斐国争乱の時、御坂城の北条勢に対時する徳川家康は、鳥居彦右衛門にこの城を修築させ、騎馬130、雑兵600人をもって守らせたと伝えられる。
(看板資料より)


虎口

小山城の場所は分かりにくかったです。城跡の中心部を中心として老人ホームの点対称の位置に虎口がありますのでそちらの方向に向って狭い道をどんどん進んでいくとそのうちたどり着けます。ちょうど公園のような感じになっていて中央の広場の周辺は土塁になっていて土塁の上は歩けるところもありました。奥の方には展望台のようなところがあって甲府盆地を見渡すことができました。この日はあまり天気が良くなかったので展望はいまいちでした。案内看板に記載されている通り中央部の広場は掘削されてしまって当時の地形ではなくなっているのかもしれませんが、思ったより大きな規模でした。

 
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