山梨県身延町
穴山宗九郎の墓
穴山宗九郎は小山城主穴山氏を嗣いだ穴山伊予守信永をあてる説が有力である。彼は文書に登場する唯一の庶流の人物で、穴山信君が西島の広禅院に廟所を移転させ、供養を行っている。穴山信永は小山穴山氏を嗣いだが、大永3(1523)年3月13日に鳥坂峠を越えて攻めてきた南部某と戦ったが防ぎきれず、二之宮常楽院で自害したという。 (平山優著 穴山武田氏より)