←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県阿智村

駒場城

2012年01月01日

本城は中世に構築されたと言われる、戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立線峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る、戦略的に重要な位置を占めている。
城のある駒場は東山道と中馬(三州)街道、下条街道が合流する地で、信濃国の国境に近い位置にあり、戦国時代、織田・徳川軍との戦いに向かいながら病に倒れた武田信玄や、逆にその武田軍を追討する織田軍の通過点になったところである。
本城の主郭は東西およそ350mの尾根の西側の小高い平地とみられ、虎口と土塁と見られる遺構が残っており、その西側に尾根を断ち切る堀切の遺構が5条連なっている。また、主郭の東には同じく堀切の遺構が4条残存している。
この山は江戸時代から「城山」呼ばれ、、延宝4(1676)年の絵地図には「城山、御公儀林、松立」と書かれていて幕府の天領「御林」として存在していた。
(看板資料より)

阿智から国道153号線を南下していくと、駒場付近で左側の山の上に「こまんば城址」と書かれた看板があって気になったので寄ってみました。山頂は阿智公園として整備されていて車で登ることができました。しかし積雪もあってなかなか苦労しました。駐車場から更に上に登って行くと頂上部があって主郭と思われましたが、ブランコやすべり台などがあって公園になっていました。
下の写真は駐車場から駒場の町並みを撮影したものですが、左側にあるのが中央高速です。東側には南アルプスの山々が連なり、元旦の朝日を拝んだのでした。

駒場城からの風景

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→