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長野県茅野市

木戸口神社

2016年01月31日

木戸口神社の由来
木戸口とは昔の関所の代役をして居た所で此の口を通りて木戸坂、赤渋平、我党場に至り、此の地より二手に別れ一筋は逆さの平から大石峠を経て、松原湖より今の南佐久方面に至り、他の一筋は我党場より馬勢口にて馬を返しそれより足で天祥寺原を経て北佐久方面に通じたのである。武田信玄はこの道を利用して棒道と名付け各所に炭を積んで塚を築き又は軍用金を埋め又は我が軍勢に合図をするために屋根棟(今のパークホテル付近)と我党場は烽火を揚げた場所とし木戸口平に武田勢の勢揃いをした所と聞く、其の后坂本養川に依り水路が開かれ滝が出来てより多くの善男善女が願を達成するためこの滝を潜り身を清め神に祈願し其の願が成就したことに依り乙女滝と呼び其の名は高く世の人の知る所となり今尚、若人達が斎戒沐浴して神に祈願する人跡を絶たずと聞く。
又、この木戸口の付近は諏訪大社の古代の牧場にて其の当時の地名が残り遠見場にて見張りをし槙寄せに追込み弓掛木にて獲物を射止め木戸口平に集め御祭事をして神に奉りし所と伝えられ諏訪明神建御名方の大明神の神霊のまします所につき、木戸口神社として祀られたるものなり。
(看板資料より)

信玄公ゆかりの地
信玄の「上の棒道」の要所、渋川を渡り、川沿いに登って御立場をすぎると、右手に横谷峡が開け、正面に木戸坂(地名)が見えてくる。この木戸坂の入口にいつの頃からか諏訪神社を勧請して、木戸口の入口であることから木戸口神社と命名したという。
木戸坂を登ってしばらあく迂回路を過ぎると向城(むこしろ)に達する。
(看板資料より)

 

 
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